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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
日進市本郷町宮下の白山宮から車で県道57号線を北上し、岩崎交差点を左折して右側の丘陵地に鎮座する岩崎神明社までは、所要時間約5~6分ほどです。
拝殿正面の眺め。 岩崎神明社の社殿は拝殿・祝詞殿がコンクリート造りで、本殿域の本殿は白壁に囲われているため、見通せませんが木造の神明造の様です。 外観は現代的な素材を使いながらも伝統的な様式を保っています。 神社は地域の祭りや行事を通じて、地域のコミュニティ活性化に一役買っています。 周囲は静かな住宅街で、ストレス社会の現代、誰しも抱える日常生活の悩みや不安から一時的に解放し、心の安らぎを感じることができます。 ![]() 拝殿に掲げられた扁額は「神明社」 ![]() 拝殿左から見た本殿。 棟持ち柱が神明造のトレードマークです。 大棟に載せられた内削ぎ千木と6本の鰹木。 ご存知のように千木は、屋根の両端に取り付けられる装飾部材です。 水平にカットされた内削ぎ千木は女神を祀るともされ、垂直にカットされた外削ぎ千木は男神を祀る神社に取り付けられるとされていますが、実際には女神でありながら外削ぎの千木がある場合もあります。 屋根の上に水平に取り付けられる丸太状の飾り鰹木は、その数が偶数なら女神、奇数なら男神を祀るとされていますが、こちらも同様で一概にそうとは言えない場合もあります。 長い歴史のある神社だと過程で祭神が変わったりする場合もあるので、装飾として捉えるのがいいかもしれませんね。 ![]() 参拝を終え、拝殿から社頭を眺める。鳥居は昭和9年(1934)に寄進されたものです。 ![]() 社頭左の庚申塔。 庚申信仰に基づいて建てられたもので、その始まりは古く、平安時代に大陸から伝わったものとも言われます。 庚申信仰は、人の体内に三尸虫(さんしちゅう)という虫がいると信じられ、60日ごとに巡ってくる庚申の日の夜に天帝に悪事を報告するとされ、その結果早死にすると信じられたようです。 三尸虫が報告に行く庚申の日の夜は眠らずに徹夜して語り合い、猿田彦や青面金剛を拝むなどして、三尸虫が報告に行くことを避ける目的で行われ、江戸時代には庶民の間で広く広まったようです。 こうした庚申塔は、街道沿いや村落の入り口などに置かれ、ある種村の守り神としての役割も持っていたと言われます。 この庚申塔が移設されたものか定かではありませんが、明治の地図では、牧野池に通じるこの通りは古くからの道と見られるため、銘文は残念ながら読み取れず時代も分かりませんが、この道沿いにあったものと思われます。 周辺には岩崎城や天白川沿いには飯田街道が東西に延びています。 また、岩崎城古墳、白山古墳があり、これらの立地からも、この地域は古くから歴史的に重要な場所であったと思われます。 ![]() 写真は社地東側の児童公園の脇にある地蔵堂。 ひと昔前、地域に安置されていたものが、宅地化にともないここに集約されたものだろうか。 やさしい表情の地蔵さんに問いかけても、一切教えてはくれるわけもなく。 岩崎神明社 創建 / 文明5年(1473) 祭神 / 天照皇大神 境内社 / 須佐之男社・神明神社・御鍬社・熱田社・山神社 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2025.01.28 12:07:47
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