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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
助七神明社。
清須市助七地内の新川右岸堤防横にある神社。 須佐能男社から徒歩で、新川沿いを上流へ1.2km、約20分ほどの場所になります。 鎮座地は、明治39年(1906)当時の寺野村の一部で、町制時の助七新田からきている。 その後、新川町に合併、後に清須市に合併し、助七新田から新田が外され助七となったようです。 ![]() すぐ傍に東海道本線・新幹線の橋梁があり、橋梁の下を県道59号線が続いています。 ![]() 上は大正時代と現在の鎮座地周辺の地図になります。 この時代だと新幹線も城北線も現れません。 助七神明社は、勝川-枇杷島間を繋ぐ現在の城北線の着工に伴い現在地に遷座した神社のようです。 ![]() 新川堤の西側に南西向きに社頭を構えています。 社地後方の四角い建物は、2010年に稼働した助七ポンプ場で、低地のこの辺りにとっては水神的存在。 ![]() 助七新田社頭全景。 左に「村社神明社」の社標と神明鳥居を構え、社殿は正面の舞殿と後方の本殿を収める大きな覆屋が主な社殿。 ![]() 参道を入ると左側に写真の手水鉢があり、昭和49年移転改築記念のプレートが埋め込まれていました。 ![]() 境内の由緒碑。 「祭神 天照大御神、素戔嗚命 境内末社 津島社 秋葉社 当地は寛永11年頃(1634)、助七と称する農人、寺野村よりこの地を譲り受け、刻苦営々拓いて美田を作り、その親族及び来住者により一部落を成せり。 住民相計ってこの地を浮地と定め氏神として創建したと伝えられている。 尾張徇行記には慶長(1596-1615)以前の開発と記してある。 大正2年(1913)、台風により拝殿倒壊し新築。 大正12年(1923)本殿を新築。 昭和45年(1970)水場土地改良事業により境内の整備を実施。 昭和49年、日本国有鉄道瀬戸線新設の為本殿を移転し同時に玉垣の新築工事を施工せり神明社」 とあります。 左の碑には平成27年(2015)に本殿が再建されたことを伝えています。 尾張徇行記をもとに記されているので、改めて見る事もないだろう。 参考までに愛知県神社庁の登録神社を調べて見ました、清州市登録神社に名を連ねており、その内容は以下。 「神社名:神明社(通称 助七神明社) 御祭神:天照大神 氏子域:助七 例祭:10月14日」 というもの。 助七さんの尽力があって農地が広がった土地ということ。 今ではその美田も姿を変え、宅地化され民家が立ち並んでいます。 ![]() 社殿全景。 社殿は全て木造で、氏子の支援もあり傷みの無いこぢんまりとした神社。 境内も綺麗に清掃されており崇敬の篤さが伺われます。 ![]() 舞殿左に境内社の秋葉神社が祀られています。 ![]() 大正時代、一面に田んぼの広がるこの辺り、小さな集落の火伏を祈願して祀られたものだろう。 ![]() 板宮造の秋葉神社とポストのような賽銭箱。 ![]() 舞殿から本殿の眺め。 本殿手前に一対の狛犬と常夜灯があります。 ![]() 舞殿側面の眺め。 重い屋根を支える隅柱を、揺れからしっかり支える補強が印象的です。 ![]() 本殿域全景。 高い石垣の上に神門と覆屋が一体となり、本殿を収めています。 ![]() 狛犬(寄進年未確認) ![]() 神門正面の眺め。 ![]() 本殿域全体を大きな覆屋が風雨から護っている。 本殿域には2社祀られており、神明造の本殿に天照大御神、素戔嗚命が祀られている。 由緒からすると、左の社は「津島社」だろうか。 ![]() 参拝を終え、新川大橋を渡りルートに復帰。 先に見える橋梁を黄色の車両が通るとラッキーだが、そこまで甘くはないようです。 助七 神明社 祭神 / 天照大御神、素戔嗚命 創建 / 不明(寛永11年以降) 境内社 / 秋葉神社、津島社 氏子域 / 助七 例祭 / 10月14日 兼務社 / 不明 所在地 / 清須市助七東山中25 須佐能男社から神明社 / 新川沿いに上流へ1.2km、約20分 参拝日 / 2025/01/18 関連記事
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Last updated
2025.02.05 15:32:03
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