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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
宮前神明社から南へ進み、名鉄名古屋本線を越え1.4km、徒歩20分ほど、西枇杷島町東笹子原の屋根神さまを訪れます。
![]() 名鉄名古屋本線を越え西に向かい、守口漬の老舗「尾張屋」に立ち寄るコースとなっていました。 ![]() 今回取り上げる屋根神さまの鎮座地は、「尾張屋」の一筋東から細い路地に入った先に鎮座します。 ![]() 幅員は狭く、車ではとても訪れられない路地で、大正時代の地図を見る限り、美濃路の北側沿いに密集する集落の中に祀られています。 ![]() その路地の左側に写真の東笹子原の屋根神さまは祀られています。 古い趣の漂う通りですが、建て替えも進み、趣きを変えようとしています。 屋根神さまは、建て替えに伴って地に降りたものと思われ、民家の敷地の一画に社殿が建てられています。幅員があれば駐車スペースになっていたのだろう。 ![]() 屋根神さまの正面全景。 切妻屋根の拝所の先は玉垣になっており、参拝者はここまです。 ![]() 社殿は板宮造の三社相殿。 一般的に熱田神宮、津島神社、秋葉神社の三社が祀られます。 地域により熱田神宮が氏神に置き換わったりするので、祭礼の時に吊るされる提灯を見れば一目瞭然でしょう。創建時期は推測ですが江戸末期か明治に入ってからだろうか。詳細は不明です。 ![]() 屋根神さまのはじまりは定かではありませんが、城下、街道など人々が集まり、長屋造りの家屋が連なるようになると、疫病や火災の発生は他人事でなく、そこに住む者には身近な問題として捉えるようになり、隣組や講など組織され、地域全体で対応するコミュニティーが生まれます。 屋根神さまも、天王信仰、秋葉信仰など、講員の活動で熱田、津島、秋葉など地域の災い除けを祈願し、小社を祀りますが、長屋の連なる街並みにそうした小社を祀る場所もなく、軒下に祀られるようになった。 この地方固有の屋根神ですが、愛知以外の岐阜などの古い町並みで見られます。 災い除けは屋根神以外にも、京都の町屋の屋根や軒下の小さな社の中に鍾馗像を見かけると思います。 怖い顔の鬼瓦や水の文字が入るもの、鯱など上げられるのも、その家の守り神として上げられますが、建築様式も変わり、怖い顔の鬼瓦もあまり見かけなくなりました。 ![]() 題目塔。 屋根神さまの近くの路地の一画に建てられています。後の面の銘文を見ることができませんでしたが、 正面に「南妙法蓮華経」、左は「一天四海皆歸妙法、後五百歳中廣流布」、右に「南無日蓮大菩薩」と刻まれています。 後五百歳中廣流布は、釈迦の入滅から五百年刻みで五つの時期に分け、五五百歳の後の五百歳を指す、断絶せず広めよという釈迦の教え。 釈迦の入滅は紀元前544年やその翌年543年など諸説あるようですが、西暦2025年今年は仏暦で2568年になります。 屋根神さまと題目塔 祭神 / 不明 創建 / 不明 氏子域 / 不明 例祭 / 不明 所在地 / 清須市西枇杷島町東笹子原452 神明社から屋根神さま / 宮前公園から南へ進み、名鉄名古屋本線を越え1.4km、徒歩20分ほど 参拝日 / 2025/01/18 関連記事 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2025.02.07 00:00:23
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