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2025.02.13
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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
前回の六軒神社から美濃路を5分ほど東に向かった先の橋詰神社に向かいます。

写真は美濃路沿いの問屋記念館前の観光マップ。
美濃路は東海道(宮宿)と中山道(垂井)を結ぶ全長57Kmの脇往還として整備され、江戸と京・大阪を結ぶ幹線で、人や物が行き交い、尾張名所図会にも当時の街道の賑わいが描かれています。
街道の面影が残る道筋や五条川堤の桜に清州城、「尾張西枇杷島まつり」など見所の多い地域。

街道を進むと新幹線と東海道本線の高架が現れ、その右手に尾張西枇杷島まつりで曳き回される5輌の山車のひとつ、東六軒町の奉享車を収める山車庫が現れます。
建造が文化2年(1805)とされ、以来町内で受け継がれています。
6月一週の土・日の祭り当日まではこちらで保管されます。

橋詰神社は更に街道を進み、県道190号線の高架を目指します。

赤い大きな扉が象徴的な問屋町の頼朝車山車庫と右手の橋詰神社社頭全景。
この山車庫に保管されている頼朝車は、享和2年(1802)の建造とされ、大きさは西枇杷島一を誇るといいます。
社頭は右手に大正14年(1925)に寄進された「橋詰神社」の社標と石造り神明鳥居が建てられています。
右手は美濃路の上を横切る高架は近年新設された県道190号の橋脚。

橋詰神社の詳細については境内に由緒書きがなく調べが必要でした。
いつものように、愛知神社庁を見るも、清須市の掲載神社一覧には社名・所在地ともに橋詰神社の記載は見つからなかった。

大正12年(1923)に出版された「西春日井郡誌」の橋詰神社の記述は以下。
「橋詰神社
西枇杷島町大字下小田井字橋詰町五十七番地にあり。
須佐之男命を祀れる村社にして、承應三年(1654)の勸請なりといふ。
尾張地名考には寛文四年(1664)とある。
元は、天王社と稱したりしが、當地古、橋爪町又は橋詰町と呼びし故いつとなく斯くは町名を冠するに至りたり。
境内面積191坪、社殿と拜殿あり。
境内神社に神明社(祭神 天照大神)、熱田社(祭神 倭建命)、秋葉社(祭神 火具土命)、金刀比羅社(祭神 大物主神)あり。
當社賓に徳川公より拜領の太鼓(中三呎)一あり。
例祭は6月11日にして、祭車二輛を出し、町内を曳き巡り、観衆群り来りて難沓を極。枇杷島祭りの体に詳設すべし。」
とありました。
はじまりは天王社、神明社として祀れたようですが、現在の橋詰神社に社名が変えられたのは明治に入ってからのようです。

現地は県道橋脚西側の美濃路に接し、南向きに鎮座しており、社殿は真新しいものでした。
以前は橋脚東側に鎮座していましたが、令和2年(2020)県道190号線の道路拡張にともない、現在の西側に遷座を余儀なくされ、遷座するにあたり、社殿の建て替えが行われたようで、山車庫もその際に新たに移転されたようです。

社殿の真新しさに比べ、境内寄進物の手水鉢や狛犬、常夜灯などに年代の違いを感じるのは遷座前のものが移築されているからで、先人の思いが込められた寄進物、老朽化で危険なものでなければ移築を選択するのは良いことだ。
鳥居先から境内の眺め。

参道右手の手水舎、手水鉢は嘉永元年(1848)に寄進されたもの。

光り輝く提灯櫓と年代を感じさせる常夜灯や狛犬。

拝殿全景。
拝殿右手にも鳥居が見られ、境内社の秋葉社と金刀比羅社が纏められています。

拝殿前の黒ずんだ狛犬は大正14年(1925)に寄進されたもので、大量生産されたものと容姿が違います。

拝殿額は「天王宮」とある、一皮むいてリフレッシュされたものだろうか。

格子戸から本殿域の眺め、本殿の造りは・・・分からない。

拝殿左から社殿の眺め、本殿は内削木の千木が付く神明造のようで、本殿域左にも不明社祀られているようです。
西春日井郡誌から察するに左手は熱田社だろうか・・・分からない。

境内社の秋葉社と金刀比羅社。
灯明台(大正13年)や鳥居、燈籠も移築されたようですね。

秋葉社(右)と金刀比羅社。
板宮造の社に大きな劣化はなく、これも5年前に新調されたものだろうか。

手水舎から見る境内全景。
新たな場所の新たな社殿、氏子や崇敬者に護られて、祭りとともに歴史と風格を増していくことだろう。

橋詰神社
祭神 / 須佐之男命
創建 / 承應3年(1654)
境内社 / 秋葉社、金刀比羅社、不明社
氏子域 / 橋詰町
例祭 / 6月第一土・日(尾張西枇杷島まつり)
所在地 / 清須市西枇杷島町橋詰57番地
六軒神社から橋詰神社 / ​​​六軒神社から美濃路沿いに東へ100㍍​、徒歩5分ほど​​
参拝日 / 2025/01/18





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Last updated  2025.02.14 13:57:24
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