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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
賢聖院から知多四国巡礼二番札所 法蔵山極楽寺までは西に徒歩4分程の城畑地内に鎮座します。
狭い道路沿いに参道口があり、はじめて訪れる方には分かり難いかもしれない。 ![]() 写真は境内に続く参道口。 この日だけかもしれませんが、入口には白と緑の奉納幟が立てられており、入口左には「新四国八十八ヶ所 第二番札所」の石標も立てられ、遠目から見ても分かりやすかった。 ここから先は緩やかな坂となり境内に続きます。 立地は東を流れる境川右岸の小高い丘陵地の裾にあたり、明治時代の地図では、近隣の集落を結ぶ唯一の道が参道口前の細い通りで、道から東の境川、逢妻川にかけては広大な水田が広がる地域。 往古の衣浦湾がここまで来ていたというのも頷けます。 ![]() 参道口の石標は大正時代のもので、側面に一番・二番札所への丁石の役割を兼ねています。 1丁が約109㍍なので一番札所の曹源寺まで27丁、約2.9kmとあり、極楽寺から次の三番札所普門寺は330㍍と目と鼻の先です。 ![]() 坂を上りきると極楽寺の伽藍が広がります。 伽藍は正面の寄棟の建物が本堂で右が庫裏、左に弘法堂と手水舎、法蔵稲荷が主なものになります。 スタート間際の人波を避け、道草しながら時間調整しましたが、次から次に巡拝者が訪れます。 ![]() 目指す弘法堂の前もごった返しています。 左の弘法堂は大正8年(1919)に建てられた大きな露盤が載る方形の建物で、堂内には多くの弘法大師像が安置されており、これらの木像大師像は、信者が一人一体ずつ寄進したもので千体弘法と呼ばれています。 ![]() 本堂の山号額は「法蔵山」 寺の由緒は見当たらず以下の書籍から引用します。 大府市誌(1986)より "法蔵山 極楽寺 北崎町城畑112番地に所在する。 善導寺(東浦町)の末寺。 草創について詳細は不明であるが、元和6年(1620)に善栄によって開かれたと伝えられる。 はじめは道場山 極楽寺と称し、善導寺の手継(教導所)であった。 六世呑説が本堂を再建し、九世澄音によって寺の什具などが完備された。 再興時の享保9年(1724) 6月の棟札があり、のちに、25年間住持した一七世湛秀が、現在の本堂を建立した" 尾張志(1844)より "北尾村にあり、法蔵山と号し、善導寺末寺"と記されている。 ![]() 山号額の掛かる本堂内部の眺め。 中尊は無量寿菩薩、左脇侍に観音菩薩、右脇侍は勢至菩薩。 内陣の光明遍照十方、世界念仏衆生摂取不捨の言葉の意味は、「黄金色に輝く阿弥陀仏の光明はあまねく十方世界を照らし、念仏するものを摂め取って決して見捨てない」 阿弥陀仏は、信じる者に常に寄り添い、慈悲深く励まし続けてくれる。 煌びやかな金色は、阿弥陀仏の不変の力を現しているという。 ・・・南無阿弥陀仏。 ![]() 納経印はまだ二つ、納経印で真赤に染まる事はないだろう。 知多四国巡礼 二番札所 法蔵山 極楽寺 宗派 / 浄土宗 創建 / 元和6年(1620) 開基 / 養誉善栄比丘 開山 / 彰誉湛秀和尚 本尊 / 無量寿仏、阿弥陀如来 札所 / 知多四国二番札所、知多25霊場19番札所他 参拝日 / 2025/01/25賢聖院から極楽寺 / 賢聖院から徒歩4分ほど 所在地 / 大府市北崎町城畑112 関連記事 ・知多四国巡礼 一番札所 清涼山 曹源寺 ・近崎 神明社 ・北嶌山賢聖院 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2025.03.07 00:00:38
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