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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
前回掲載した市原稲荷神社から、知多四国七番札所である彼岸山極楽寺へは、県道50号線を30分ほど西に進んだ、東浦町森岡岡田の丘陵地に鎮座しています。 ここまで平坦な道でしたが、極楽寺付近は緩やかな上りになります。 鎮座地はかつての尾張国村木村の一部で、戦国時代にはここから10分程北に今川方の村木砦が作られ、信長は極楽寺から西5分ほどの村木神社に本陣を置き「村木砦の戦い」の場となりました。 この戦いは、織田信長が初めて鉄砲を使い今川方に勝利し、新たな戦法への転機となった場所です。 ![]() 石ヶ瀬川・境川・逢妻川と三つの河川が作り出した沖積平野の西端にある丘陵地に鎮座する極楽寺は、写真の大きな楠の巨木が目印です。 街中の楠は、ともすれば上を押さえられ、枝も剪定され窮屈そうですが、郊外の楠は実に伸び伸びとした樹形を見せてくれます。 ![]() この大楠は東浦町の天然記念物で、目通り4.2㍍、樹齢約500年以上と云われ、この町のシンボルツリー的存在。 ![]() 極楽寺山門。 ![]() 極楽寺は曹洞宗の寺で山号は彼岸山、本尊は阿弥陀如来。 寄り道した事もあり、境内の人波は少し緩和されたようです。 ![]() 薬井門の軒先の五三桐の紋と跳ね獅子の飾り瓦。 ![]() 境内右の手水鉢と水かけ地蔵。 ![]() 本堂、薬師堂(弘法堂)の全景。 東浦町誌(1968)では極楽寺について以下のように紹介されていました。 「彼岸山 極楽寺(曹洞宗) 所在地 森岡字岡田51番地 本尊 阿弥陀如来 開山 即法玄中大和尚 境内地 825坪 寺宝什物 善光寺如来 山緒 寛正2年(1461)玉海通公和尚の開創と伝え、安政2年(1855)再建、明治6年永平寺監院 即法玄中大和尚を法地開山。 禅宗で阿弥陀仏の本尊はめずらしい。 新四国弘法大票第七番札所。」 ![]() 本堂内の様子、こちらの本尊は阿弥陀如来。 まずは、本堂で参拝。 一般的に曹洞宗のお寺の本尊はお釈迦さまや観音さまですが、寺号や本尊から察するに、長い歴史の中で浄土宗から曹洞宗へ改宗されたのかもしれません、他の地史を見ましたがその辺りは良く分からなかった。 ![]() 薬師堂。 阿闍梨和尚により文化6年から文政7年にかけ、知多半島全域にわたり八十八札所が成就し、その七番札所が極楽寺。 ![]() 八十八の札所の中には補修が追い付かない札所もあるなか、こちらは綺麗に保たれています。 堂の入口に御達者地蔵、左には抱き地蔵が安置されており、内部には弘法大師、薬師如来、秋葉大権現が祀られています。 ![]() 「ごくらくは いずことひとに たづねなば このむらきにも ありとおしえよ」 知多四国巡礼 七番札所 彼岸山 極楽寺 宗派 / 曹洞宗 開創 / 永保2年(1430) 開基 / 外山大助 開山 / 速法玄中大和尚 本尊 / 阿弥陀如来 札所 / 知多四国七番札所 参拝日 / 2025/02/15
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Last updated
2025.04.06 11:19:14
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