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2025.03.28
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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
八番札所傳宗院を後に、約5分ほど師崎街道を南下した東浦町緒川屋敷で、入海神社の前を通りかかり参拝に立ち寄ってみました。
鎮座地は岡田川右岸沿いに続く平坦な師崎街道の西側の丘陵地にあたり、周囲は住宅や駐車場の多い地域。
その街並みの中、一見古墳のようにも見える入海神社の小高い社地と杜は、ここが特別な場所である事を想像させる雰囲気があります。

街道沿いの社頭全景。
高台の境内なので鳥居から先の参道は緩やかな坂が続きます。

社頭の解説。
「入海(いりみ)神社
祭神 弟橘比売命
社格 愛知県神社庁五級社
所在 愛知県知多郡東浦町大字緒川字屋敷一区46番地
由緒
昔日本武尊御東征の折り、当地の穂積忍山宿弥は水軍を編成し 娘弟橘比売命は御后として従軍し途中荒天に遭い全軍の安泰を祈り弟橘比売命は海に入られた。
御櫛が当里の紅葉川の辺りに流れつき、これを御祭りした。
これが入海神社宝亀年間の起源と伝えられている。
境内社
八幡社 祭神 応神天皇、神功皇后、玉依比売命
津島社 祭神 建速須佐之男命
山神社 祭神 大山祇命
天神社 祭神 菅原道真
社宮司 祭神 猿田彦命
子安社 祭神 豊玉媛命
龍神社 祭神 綿津見命
地立社 祭神 小名彦命
招魂社
相殿 弁天神社、宗像三神

入海貝塚
当社境内に現存し、東海地方における縄文早期の標式土石や関西地方の標式土器と共に当貝塚独特な土器の出土があり、入海式一及び入海式二として縄文早期の標式のひとつとなっている。」

鳥居から先の参道の眺め。
参道中ほどに手水鉢がありますが、それは「夜啼き石」と呼ばれ、寛延2年に(1749)不思議な現象を起こす事から手水鉢に加工し神社に祀られたようです。

東浦町誌には夜啼き石の不思議な現象について以下のように書かれていました。
「夜啼き石(緒川) 現在入海神社南参道右側にあるやや大きい手洗い石で、その側面に「銘曰 此石在当里  数哦古城裏 怪異伝無取 奉神為水器 寛延二巳巳歳 仲秋吉日」とある。
この石はもと村の南方の古城の裏にあって、夜になると犬がほえるような声を出すというので村人に恐れられ、引き取るものがないので神社に奉納して手洗いにした。
という意味である。以来なんの怪異もない。」

坂を上りきるとニノ鳥居が現れ、右手に手水舎、左手に石の蕃塀が建てられています。
番塀の左は隣地の了願寺が迫り、以前は神仏習合の関係にあったのかもしれません。
右手の社殿は、了願寺方向の南を向いて建てられています。

境内全景。
こちらの神社も広い境内を持っており、中央が拝殿、左右に境内社が祀られています。

東浦町誌による入海神社の解説は以下のように書かれていました。
「入海神社
東浦町大字緒川字屋敷一区46番地
境内面積1336坪 
境内社 八幡社、津島社、天神社、山神社、秋葉社、石神社、子安社、竜神社、地立社
祭日 10月10日

社宝什物
刀劍三振(正宗作短・長船作長・真次作短)、よろい一具(徳川家康の産衣の鎧と伝え、天和3年(1683)正月水野貞信の寄進状がある)、古柱 (往古クスの大樹一本の用材で神殿一棟が造作されていたのを、天文13年(1544(緒川城主水野信元が改築したときの古柱)神像三体。
由緒
由緒 宝亀3年(772)の創建と伝える。
祭神については古代および伝説の項参照。
境内に入海貝塚がある。
境内社八幡社は緒川城主水野真守が城の鎮守として建立したもので、緒川字八幡38番地にあったが、昭和42年10月遷座合祠した。」とあった。

祭神の弟橘比売命について「古代および伝説の項」では以下のように書かれています。
「弟橘媛(入海神社祭神)景行天皇の皇子日本武尊が尾張氏一族をひきいて海路東国征伐に向かったとき、その后弟橘媛も同行した。
まず駿河焼津の難にあったが、腰の劔で草を切りはらって賊徒を平定し、相模国から安房国へ渡ろうと走水の海まできたとき、急に暴風が起きて遭難の危機に苦しんだ。
そのとき媛が「わたしが尊の身代りになって海に入り、海神の心をしずめましょう。尊は使命をはたしてください」といって、菅・皮・絹の敷物を波の上に重ねてその上におり「さねさし 相武(さがむ)の小野に 燃ゆる火の 火中(ほなか)に立ちて 問ひし君かも」と詠んで入水し、それと同時に海はしずかになった。
その七日後、媛のクシがここの海岸に流れついたので、それを拾いあげてねんごろにお祀りした。」
日本武尊の東国征伐を果たすため、自ら生贄として荒れ狂う海に身を投げた弟橘比売命について書かれています。

拝殿を守護する一対の狛犬は大正6年(1917)に寄進されたものです。

拝殿左の境内社。
右から子安社、天神社、津島神社、北山神社、南山神社。

境内左の龍神社と祓い所。

拝殿右の境内社。
左手の建物が八幡神社、宗像三神の相殿で右手の覆屋は招魂社、入海貝塚と続きます。

相殿正面全景。

招魂社(手前)と八幡神社、宗像三神相殿本殿側面。

入見貝塚の石標と解説。

入海貝塚解説内容は以下。
「指定年月日 昭和28年12月14日(1953)
所在地 東浦町大字緒川字屋敷一区46番地
指定区域 入海神社境内1200平方メートル
指定理由
衣浦湾に注ぐ境川流域の台地上にあり、貝層は主としてハイガイ等によって構成されています。
出土した土器は東海地方の縄文時代早期(約7000年前)の基準となり、「入海式土器」と呼ばれています。
わが国における縄文時代早期文化を知る上で価値が高い遺跡です。
東浦町教育委員会 」
バリケードの先の広場が貝塚。

街道沿いには長い歴史を持つ神社は多く、白雉4年(653)の入海神社も例外ではない。
往古のこの地が波打ち際だったころから、住民が守り続けてきた神社です。

歩いて巡拝知多四国 入海神社
創建 / 白雉4年(653)
祭神 / 弟橘比売命
境内社 / 八幡社、津島社、山神社、天神社、社宮司、子安社、龍神社、地立社、招魂社
相殿 弁天神社、宗像三神
氏子域 / 緒川
祭例 / 10月10日
参拝日 / 2025/02/15
所在地 / 愛知県知多郡東浦町緒川屋敷1区48
傳宗院から入海神社 / 師崎街道を​南下15分ほど
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Last updated  2025.05.08 09:28:18
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