|
カテゴリ:神社仏閣・御朱印
入海神社の参拝を済ませ、9番札所明徳寺へは社頭前の師崎街道を南に向かい、東浦町中央図書館の突き当たりで左に進み、国道366号線沿いに明徳寺川を越えます。 明徳寺川を越えると、国道の西側を並行して伸びる師崎街道を進みます。 街道右手の住宅街の隙間から森が見え隠れする様になります。 目指す9番札所明徳寺はその森の西側になります。 平坦な師崎街道から森を目指し西に外れると、道は緩やかな上りとなります。 ![]() 「社寺・旧蹟は森を目指せ」をモットーにしていますが、この森も稲荷神社の杜でした。 所在地は東浦町大字石浜字下庚申坊、この地名の庚申坊も意味ありげです。 上は稲荷神社社頭全景。 右手に「村社 稲荷神社」の社号標、石の神明鳥居の先の境内には正面の社殿の他、右手に神楽殿が一望できます。 明徳寺へは、社地西側の路地を150メートルほど進んだ先にあります。 妻には札所に向かってもらい、私は一人で稲荷神社に参拝しました。 ![]() 社頭の稲荷神社解説。 「天文6年(1537)、この地に天王社を建立したというのが神社の最も古い記録である。 江戸時代、正徳6年(1716)、境内に稲荷社を建立し、二社が並び建っていた。 いつの頃からか稲荷社が主となり稲荷神社と称する。 現在は、一宇の社殿に稲荷社の祭神 宇迦之御魂神と天王社の祭神 建速須佐之男神を祀る相殿である。 境内奥にある忠魂碑群は、昭和4年(1966)石津住宅団地の造成に伴い移設された。 周辺は縄文時代晩期の石浜貝塚があったところである。 境内西の奥には、役行者像や富士・立山・白山三信仰の碑がある。 また、参道脇には明治期の村の事業を記した植林之碑がある。」 東浦町誌(1968)の稲荷神社の記述は以下内容。 「稲荷神社 東浦町大字石浜字下庚申坊八番地 祭神 宇迦之御魂神 境内面積 743坪 境内社 八幡社、津島社、大神宮社、天神社、山神社 祭日 10月6日 社宝什物 刃劍二振 由緒 宝永2年(1705)再建の棟札の裏に「当社建立天文六丁酉年(1537)四月大吉日 願主 鈴木新左衛門 荒木田守 為井諸人泰加」とある。 境内社の津島(天王)社は正応2年(1288)三月 明徳寺川流域の北庚申坊に勧請されたものと、張州雑誌につぎのように記録されている。 「天文六丁酉年四月 当村の境川上より流れ来るを荒木田某という者これを取上げ此地に新たに社を営建して鎮座す。 これより彼子孫崇尊し神祠を修造して今猶怠らず。 荒木田某は伊勢神宮の神主荒木田某の庶子なりしが、故ありて文明年中此に来住す。 今里長 鈴木新左衛門と云者則ち荒木田某の末葉なり」 荒木田氏は伊勢神宮の禰宜として奉仕した一族、そうしたこともあるのだろう境内に神宮遥拝所も置かれています。 ![]() 参道から社殿の眺め。 この光景から稲荷らしさは感じられません。 ![]() ニノ鳥居の手前は手水舎、神馬像が安置されています。 ![]() 手水舎と後方の石碑群。 ![]() 昭和に入り奉納されたニノ鳥居から拝殿方向の眺め。 ![]() 参道の由緒から一部抜粋。 「御祭神 宇迦之御魂神 御祭神伝 此の神の神の御別名が非常に多い 大宣都比賣神、豊受気毘賣神、倉魂神、豊受皇大神、稲魂神、御饌神、大御膳都神、和加宇加乃賣神、豊受賀能賣神などの異名あり。 蒼生衣食の道を得せしむる御神徳あり。 境内末社 八幡社、津島社、津島地主社、五男三女社、太神宮社、天神社、山神社」 当然と云えば当然だろうが稲荷神社の祭神については記されますが、牛頭天王を祀る津島(天王)社についてはここには書かれないようです。 ![]() 境内右の神楽殿はコンクリート造りの新しいものです。 ![]() 拝殿。 木造社殿ですが綺麗な状態で保たれています。 ![]() 拝殿前の狛犬。 頭部と体のバランスがいいものです。 寄進年は見たのですが忘れました、大正時代だったような? ![]() 拝殿額は「稲荷神社」 狐の姿を見かけない境内やシックな色合いの木造社殿からも稲荷感は薄い。 では参拝。 米をはじめとして食料品がなんでもかんでも値上がりし、食卓が寂しくなってきた、せめて食べるものだけは困らないようにお願いしておかなければ。 ![]() 拝殿右側から本殿の眺め、恐らく流造だろう。 右手の茶色はまずい奴か? 昨年くらいから花粉症になったようで、なるべく避けたい光景です。 ![]() 境内右側の招魂社。 ![]() 長い参道の先には、狛犬が守護する社殿と忠魂碑などの石碑が纏められています。 ![]() 拝殿左から見る本殿域の幣殿と本殿。 ![]() 境内左に富士大権現・立山大権現・白山大権現の碑群と写真の鳥居があります。 ![]() 鳥居左の覆屋は大山祇社、大神宮社、天神社、五男三女社、津島地主社の五社が祀られています。 ![]() 鳥居の正面は八幡社。 ![]() 更に左には多賀社、稲荷神社・津島神社の合殿と大峯山の堂が祀られ、堂内には役行者の姿がありました。 ![]() 境内左の神宮遥拝所。 ![]() 拝殿前から社頭の眺め。 狛犬の台座をよく見れば寄進年が写っていました、大正8年(1918)の先人が寄進したものでした。 足早に稲荷神社を参拝しました、妻の待つ9番札所明徳寺に向かいます。 歩いて巡拝知多四国 稲荷神社 創建 / 創建不詳、津島社は正応2年(1288) 祭神 / 建速須佐之男命、宇迦之御魂神 境内社 / 八幡社、津島社、津島地主社、五男三女社、太神宮社、天神社、山神社、招魂社 氏子域 / 東浦町石浜 祭例 / 10月第4日曜日 参拝日 / 2025/02/15 所在地 / 愛知県知多郡東浦町大字石浜字下庚申坊8入海神社から稲荷神社 / 明徳治川を渡り1.5km・約30分ほど 関連記事
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2025.04.06 11:22:44
コメント(0) | コメントを書く
[神社仏閣・御朱印] カテゴリの最新記事
|