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2025.06.16
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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
ごて地蔵から、曽根崎お初天神通りを200㍍ほど南に向かうと、お初天神ビルの左側に露天神社の北参道が見えてきます。

露天神社北参道全景。
右手に「お初天神 露天神社」の社標、左に由緒書きがあります。
アーケードをさらに進むと西参道があり、正参道は少し先の国道一号線手前の左側の路地を進んだ先の左側に木造の明神鳥居を構えた正参道があります。

北参道から境内の眺め。
周囲はビルが迫り、ビルの間に境内に続く参道が作られています。

露天神社 由緒略記。
例祭日 7月20日
御祭神 御本社
少彦名大神、大己貴大神、天照皇大神、豊受姫大神、菅原道真公
境内末社
水天宮、金刀比羅宮、開運稲荷神社 
境外地 夕日神明社碑

社伝によると、創建は1100年以上前に遡り、文徳天皇の御代、嘉祥3年(850)に定められた「難波八十島祭」の旧跡の一つとされています。
また、「住吉住地曽祢神」を祀る神社であると伝えられています。
かつてこの地は「曽根洲」と呼ばれる孤島であり、曽根洲、後の曽根崎の地名は、この神の御名に由来します。
平安時代、渡辺十郎源契がこの地に移り住んで以来、渡辺氏一族をはじめ、移住者が増え、次第に「曽根崎村」として発展しました。当社も産土神「曽根崎天神」として崇敬を集め、現在も梅田・曽根崎地区の守り神として信仰されています。
昌泰4年(901)、菅原道真公が筑紫に左遷される途中、この地を通られた際、境内の草木が露に濡れている様子をご覧になり、 「露と散る 涙に袖は朽ちにけり 都のことを 想い出づれば」 と詠まれました。道真公が太宰府で亡くなられた後、その御遺徳を偲んで当社に合祀し、この御歌に由来して「露天神社」と称されるようになりました。(社名の由来には諸説あります。)
元禄16年(1703)4月7日、堂島新地天満屋に仕えていた「お初」と、内本町醤油屋平野屋の手代「徳兵衛」が、当社の「天神の森」で心中しました。その出来事を受けて、時の戯曲作家・近松門左衛門が『曽根崎心中』として劇化しました。
以後、上演のたびに身分を問わず多くの民衆が観劇し、こぞって当社に参拝し、二人の霊を慰めたといいます。 こうした歴史を経て、「お初天神」と呼ばれるようになりました。
平成4年(1992)10月吉日 宮司記」

露ノ天神社の由来については、祭礼が入梅の時期のため「梅雨天神」とか、梅雨になると清水が湧き溢れる露の井戸があることに由来する、など諸説あるようです。

狸と恵比須さん?。
この神社の境内には、他にも干支などの多くの置物が置かれています。

北参道から境内の露天神社社殿の眺め。
至るところに御籤が掛けられ、妙にごちゃごちゃした印象を受ける。

元禄16年4月7日、当社「天神の森」で心中した実話に基づき作られた人形浄瑠璃「曽根崎心中」で知られ、その舞台となった認知度の方が強く、今も恋の成就を願う多くの人々で賑わう。

境内西側の開運稲荷神社。
参道には菅原公とは所縁の深い全身ピカピカの神使「撫で牛」が安置されています。

恋御籤は参道のこの水盤で占う。

朱の鳥居がお初と徳兵衛が出迎える拝殿へ誘う。
参道脇には縁結びや出会いを祈願するハート型の絵馬が無数に掛けられていた。
今どき、仕事に忙殺され出逢いがないとも聞きます、神社主催で出逢いの機会を作ってみたらどうだろうか。

お初と徳兵衛のブロンズ像。
二人の300回忌の後、寄付により平成16年4月に立てられたもの。

その先の手水鉢。
龍が清水を注ぎ、鉢の内には銀色の玉が置かれていますが、作法が良く分からなかった。
右手に男女の道祖神がありました、お初と徳兵衛なんだろうか。

拝殿の眺め。
23時まで参拝できるため、夜の参拝が幻想的かもしれない。
立派な社殿に見受けられますが全体は見えにくい。

開運稲荷社 略縁起
「明治四十二年「北の大火」に際し、近在各地に祀られし、四社の稲荷社も悉く烏有に帰す。
後、各々その復興もままならず、当、露天神社境内地を以って四社を合祀し御鎮座し給う。
御祭神 玉津大神、天信大神、融通大神、磯島大神
御神德 商売繁盛、五穀豊穣、皮膚病治癒

開運を願い、商売繁盛を願う人々の崇敬を集めている。
又、古くは、皮膚病の治癒を願って、「鯰」の絵馬が多数掛けられ、お百度を踏む人々で混みあう程だったと伝える。
現社殿も、一部修復工事は施したものの往時のままで、正面左右の扉は、開放することにより社殿内を一巡することが出来、当時のお百度詣りの面影を留めている。
尚、明治四十二年、祝融を被りし露天神社御神木の残片にて調製せし神號額が、其の旨の裏書と共に伝わっている。」 

拝殿内部の眺め。
両脇に大きな狛狐、中央に金色の御幣と大きな鏡が見られ、その両脇にも狐が安置されているようです。

西鳥居から御堂筋の眺め。

注連柱から切妻造の拝殿の眺め。

拝殿。
祭神は少彦名大神、大己貴大神、天照皇大神、豊受姫大神、菅原道真公。
現在の社殿は昭和32年造営されたもので、昭和52年には境内各所の修復、透塀・玉垣の新設、平成5年に社務所・参集殿・正門・鳥居などが造営されたもの。
残念ながらこの先の本殿の姿は見られなかった。

拝殿左の境内。
こちらには水天宮・金刀比羅宮、難波神明社などの境内社が祀られています。

難波(夕日)神明社。
社殿が西向きであることから、「夕日ノ神明社」とも呼ばれます。

平安初期弘仁12年(821)2月、嵯峨天皇の皇子河原左大臣 源融(みなもととおる)公が、中洲(現在の曽根崎1付近)に皇大神宮を祀ったのがはじまりといわれています。
往事はこの地を「大神宮の北の洲」または「神明の鼻」と呼ばれ、一帯を境内地としていた。
現在の西天満宮3の旧町名「伊勢町」の起源といわれるそうです。

文治年間(1185~1189)には源義経公から願書と寄付物が奉納され、後醍醐天皇の御代には勅願所となり、江戸時代には大阪城代、丙町奉行の参拝社となり境内も広大だった。

かっては、西向きの「夕日ノ神明社」、東向きの「朝日ノ神明社」、南向きの「日中ノ神明社」の三社を「大阪三神明」として崇敬されたそうです。

しかし、天保5年(1834)7月11日、明治42年(1909)の「北の大火」によって社殿を焼失、翌年露天神社に合祀されました。
現在、露天神社より東方約500メートルに位置する旧社地には、「神明社旧跡」の碑が建立されています。

水天宮・金刀比羅宮。

銅葺屋根の入母屋妻入りの拝殿で軒唐破風の下には大きな水天宮と金刀比羅宮の額が掛けられています。
神橋の左には、いかにも大阪らしい大きな虎が安置されていました。

拝殿内には神馬像や猿田彦大神、角を持つ獅子の姿がある。

水天宮 金刀比羅宮 緣起
当 水天宮は寛政9年6月大阪中之島 久留米藩蔵屋敷内に祀られ、藩主 有馬公殊に尊崇されていたもの。
明治維新に際し、蔵屋敷は朝廷に返上され、御神霊は丸亀藩蔵屋敷の金刀比羅宮に合祀されたが、丸亀藩蔵屋敷も上地となり、共に高松藩蔵屋敷の金刀比羅宮に遷し、後、堂島中二丁目に遷座される。
明治42年(1909)の「北の大火」の際、当社も被災し、露天神社の境内社として斎祀された。
尚、東京水天宮は文政元年(1818)11月に鎮座したとされるが、当社はこれより21年以前に祀られている。
御祭神
天乃御中主大神、安徳天皇、大物主大神、崇徳天皇、住吉大神、他二柱。
御神德
安産、児童守護、交通安全、水関係職種の守護。

授与所の東側に「郷社 露天神社」の社号標があり、その先は冠木門を構える東参道に続きます。

御井社・祓戸社。
名井「露の井」として露天神社社名の由来ともいわれ、洲の多かった土地柄にあって、梅雨時には井戸縁から溢れるほど真水を湧出したとされ、信仰の対象として崇められた。
現在は開発により水脈が変わり、湧出量も少なくなったそうです。

社殿の左の「噴水神盆」。
このようにして取っ手を擦ると鍋?全体が共振し、鏡のような静かな水面が噴水のように波立つという。
成功するともれなく運気アップするという。
コツだけの問題でしょうが、二人で交互に挑戦するも、水面は穏やかなままでした。
・・・穏やかなのが一番いいんです。

祓戸社から右手の参道を進むと社地南側のこの鳥居に至ります。
平日の昼頃ですが、参拝者が途切れることはありません。
ツアーコースではないのかナ、大陸の方の声は聞こえてこなかった。

露天神社
創建 / 不明
祭神 / 少彦名大神、大己貴大神、天照皇大神、豊受姫大神、菅原道真公
境内社 / 開運稲荷神社、水天宮・金刀比羅宮、難波神明社、御井社・祓戸社
所在地 / 大阪市北区曽根崎2-5-4
ごて地蔵から露天神社 / ​曽根崎お初天神通りを200㍍ほど南
参拝日 / 2025/05/12
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Last updated  2025.07.05 11:25:29
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