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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
6月末の開催以来、約3か月ぶりに開催された「歩いて巡拝 知多四国」。
本開催の9月27日は乗鞍キャンプのため予定が合わず、9月30日に後開催で巡拝してきました。 ![]() 後開催第七回歩いて巡拝 知多四国は名鉄知多新線「内海駅」をスタートし、内海周辺の47番・44番・45番・46番札所の4寺を巡拝し、約7kmを歩きゴールの「内海駅」に戻るコースです。 真夏の時期の中断もあり、足慣らしの意味からか、コースは平坦な道が続き、距離は短めに設定しているようだ。 ![]() 写真はスタート・ゴール地点の名鉄知多新線「内海駅」。 当日の天候は快晴、ここを11:00にスタート、駅前の県道52号線を越え、北に500mほど先の四十七番札所 持宝院に向かう。 炎天下のなかで歩いた6月のことを思えば、吹き抜ける風は秋を感じさせるもので、快適に参拝することができました。 2日ほど前に足首を捻挫したこともあり、快調に歩けないので、かみさんが描いている食事処は予定変更せざるを得なかった。 ![]() 駅から数分で持宝院に続く路地に入る、正面の山間が鎮座地になります。 ![]() 道はここで二手に分かれ、右側を進んでいきます。 ![]() 参道先は左手に弁天池、右手に本地西国三十三観音霊場の観音像が安置されています。 ![]() 弁天池の小島に祀られる弁財天。 ![]() 弁天池に浮かぶ弁天島。 この参道付近には弘法大師巡錫来山の時、加持修行されと伝えられる轟の井や芭蕉の句碑(花盛り 山は日ごろの朝ぼらけ)などがあり、江戸期前より桜の名所として知られた。 ![]() 桜の山寺とも称され、尾張名所図会にもその様子は描かれています。 ![]() 観音像。 ![]() 参道の正面の洞窟内には修行大師像が安置されています。 ![]() 修行大師の左に本堂に続く石段があります。 この石段を歩いて上りたくなければ、弁天池の手前から左に続く舗装路を車に乗ったまま境内に行く事も出来ます。 ![]() ここから本堂に続く石段が続きます、この時期は鮮やかな赤色の彼岸花が彩りを添えています。 ポールの助けを得ながら一段ずつ確実に上る。 足は家でくじいたのですが、山深い神社やキャンプの時でなくラッキーだったと思うしかない。 ![]() 参道中ほどの笹薮のなかには彼岸花に彩られた弥勒菩薩、大日如来が安置されています。 ![]() 境内右手から見た持宝院全景。 ![]() 井際山 持宝院は奈良時代神亀年間(724~729)、行基開創の寺と伝えられる、真言宗豊山派の寺院で、一山九院の巨刹井際山持宝院観福寺と号した。 南北朝時代・戦国乱世を経て荒廃し、一院の持宝院観音堂のみが残る。 応永年間(1394~1428) 金尊上人を中興開山として、馬場村より現在地に移転。 寺宝に鎌倉時代の宝印塔があり、過去には応永二十二年の銘が入った鰐口があったという。 慶長年間(1596~1615)のころより、加持祈祷の寺として崇敬され、本尊の如意輪観音像は古秘仏である。 ![]() ![]() 本堂軒下に安置される賓頭盧尊者、地蔵菩薩。 ![]() 本堂に掲げられている額、持宝院と書いてあるのだろうか、読めません。 ![]() 本尊は如意輪観世音菩薩で左に、弘法大師像、右に善光寺如来、南知多七福神寿老人が安置されています。 ![]() 本堂前の境内の宝印塔と、バナナの木が印象に残る。 ![]() ちほういん きしのはなみる ひともまた こころはなさく にょいりんのとく 後開催第七回歩いて巡拝 知多四国 四十七番札所 井際山 持宝院 宗派 / 真言宗豊山派 開創 / 行基菩薩・神亀年間(724~729) 中興開山 / 金尊上人(1394) 本尊 / 如意輪観世音菩薩 札所 / 知多四国第四十七番札所・知多四国第九番札所・南知多観音三十三番札所・知多七福神(寿老人) 所在地 / 知多郡南知多町内海林之峯66 名鉄知多新線内海駅から持宝院 / 内海駅から北へ5分ほど 参拝日 / 2025/9/30 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2025.10.09 00:00:10
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