|
カテゴリ:神社仏閣・御朱印
番外札所 金鈴山 曹源寺から常滑街道を2~3分程右手に進む、そこはもう58番札所 金光山 來應(来応)寺になります。
常滑市誌(1976)によると『天正10年(1582)、 一翁得公和尚を開山として創建された。殉行記には「来応寺、在大谷村、号金光山、曹洞宗」、「此寺草創の年紀は不知」とある。 本尊は如意輪観音である。』 当時は裏山に観音堂があったようで、観音菩薩とともに大師も祀られていましたが、明治維新の折に境内に堂が遷されています。 境内には「分身58番弘法大師」がお祀りされています。 この像は、昭和37年に名古屋の石材店に泥まみれの石像が持ち込まれ、この像を洗い清めたところ58番の大師像とそっくり。 店主は堂を作り供養を行い、像を安置すると、芳しくなかった商売が好転したという。 後にその像は分身弘法として來應(来応)寺に寄進された。
境内左に三つの祠と観音像、石仏が集められています。 観音像の台座には「西国三十三所・秩父三十四所・坂東三十三所 百観音合体霊場」とある。 右の三つの祠は左から「ぽっくり地蔵堂」、「分身58番弘法大師堂」、「子安地蔵堂」。 その中から個人的に魅かれた三つの像を下に挙げます。
ぽっくり地蔵。 蓮華座の上の像はいずれも頭部が異常に小さく、見ようによっては頭部がないようにも見えます。 ぽっくり往生できるようにと村人が奉納したものという、なぜこの形になったのか気になるところです。 自分は特に信心深い方ではない、ただ一つ「自分含め家族が平穏に過ごせるように」とは必ず願うが、神や仏に長寿を懇願したことはない。 しかし長年生きてくると必然的に多くの死に目にも立ち会うことになる。 願わくば延命治療を受ける事無く、普通に床に着き、朝起きて気付いた時があの世であれば一番幸せだと思っている。 楽に旅立ちたい、それは誰しも同じだと思う。 「ぽっくり地蔵さん」はその願いを形にしたものだ。
子安地蔵右の石仏。 像容や舟形光背に文字が刻まれています、左上の文字は「享保七(1722)」と刻まれている様に見えますが、全ては読み取れなかった。
仏徳のあまねき光り来応寺 大悲のめぐみ我に添ひくる 後開催 第八回歩いて巡拝 知多四国 58番札 所金光山 來應寺 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2025.11.20 09:43:29
コメント(0) | コメントを書く
[神社仏閣・御朱印] カテゴリの最新記事
|