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2025.12.03
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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
前回掲載した65番札所相持院、その境内からそのまま上にでて、通りを左に進み300mほど先の常滑市陶郷町地内で贄代稲荷大明神の前を通りかかり立ち寄ってみました。
今回はこちらを掲載します。

陶郷町4の「あみだ堂」全景。
相持院からは正面の道を歩いてきました。
外観は特に神社・仏閣らしい趣は感じられませんが、境内に堂らしき建物が見え、この石段を上ってみました。
かみさんには例によって「パッパッと見て来るから待っててね」お願いし駆け足で境内を散策。

境内に向かう石段の眺め。
鎮座地の常滑市陶郷町は、奈良時代から平安時代は知多半島の根元から先端の全域を尾張国智多郡と記され、但馬・贄代(にえしろ)・番賀(はが)・英比(あぐい)・冨具の5郷があった。
『和名抄』や木簡資料にもその郷名が見え、時代と共に漢字を変えながら、一部はそのまま地名として今も残っている。
社名の「贄代」は、その頃の郷名を誇りとして継承したものと思われる。
武豊町観光協会の伝承によれば、贄代の由来は天照大神の御神託を受けた倭姫命が社地を探す旅の途上、この知多半島の地に仮殿を建て、大神に供物を奉ったことから「贄代郷」と呼ばれるようになったとされる。
「贄代」の名は、神に捧げる供物を奉る土地を意味するといわれ、倭姫命が建てたと伝わる「仮殿」は、現在の知多市新知(旧・朝倉村)にある「知里付神社」がその比定地と考えられ、知里付の「チリフ」は古語で「イケス」を意味し、供物奉献地としての性格を裏付けている。

石段の先の境内。
入口に陶製狛犬一対が守護しており、右手に阿弥陀堂、その先の朱の鳥居と社が主なもの。

狛犬の吽形は角もあり凛々しい姿をしています。
陶製狛犬からみる神社の創建時期の考察。
この陶製狛犬は、常滑を代表する陶彫作家 片岡静観(1910~1988)が制作したもので、昭和期に数多くの陶製狛犬や仏像を制作した作家。
彼の作品は、地域の寺社や祠に奉納され、常滑焼の伝統と信仰文化が融合した造形として今も残されている。

常滑郷土文化会『つたえたい常滑』には、以下のような記述がある。
「狛犬は昭和17年制作されたもので、この狛犬の他に贄代稲荷大明神の狛狐も彼の作品。
静観の父が阿弥陀堂再建の世話人を務めたことから、阿弥陀堂の天井絵、欄間の木彫なども静観が手掛けたという。」
この記述から、阿弥陀堂の再建が昭和期に行われたこと、その際に静観が複数の造形を手掛けたことが分かる。
贄代稲荷大明神の陶製狛狐も同時期に制作されたとすれば、祠の建立自体もそれほど古いものではないかもしれない。

今昔マップで明治期まで遡っても堂や鳥居の記号が見られないことからも、贄代稲荷大明神は近代以降に地域信仰の中で祀られた小祠であると思われます。
地名「贄代」の由来や、倭姫命の仮殿伝承といった古代の記憶を背景に、近世以降の稲荷信仰が重なって成立した祠で、陶製狛犬・狛狐という常滑ならではの寄進物が奉納されており、地域の信仰と焼き物文化の融合を象徴するもので、片岡静観の作品がその記憶を形として残している。

境内全景。
右手の寄棟瓦葺の建物が昭和に入り再建された阿弥陀堂、堂は戸が閉じられ内部の意匠は見られなかった。
左の鳥居が贄代稲荷大明神となります。

鳥居の先のふたつの社。
右手が「贄代稲荷神社」で、左手が「三頭黒龍神社」。
狛狐も片岡静観の手によるもので、右手の石標には「平成7年建立60周年記念」と刻まれていました。
このことから、昭和10年(1935)が建立時期かもしれません。
稲荷神は五穀豊穣を司る宇迦之御魂神を祭神とし、各地に広がった信仰である。
常滑は焼き物の町であり、「贄代稲荷大明神」は土地の古い郷名と商工業繁栄を祈る形で祀られたものかもしれない。
阿弥陀堂の情報は掴めなかった。

贄代稲荷大明神が鎮座する高台から、西側のやきもの散歩道方向の眺め。
常滑の街には最盛期は数百を超える煉瓦煙突が聳えていた、今では減少の一途を辿り数えるほどになり、焼き物の街の風情が薄くなっている。

後開催 第八回歩いて巡拝 知多四国 贄代稲荷大明神・阿弥陀堂
贄代稲荷大明神
創建 / 不明(昭和10年か?)
祭神 / 宇迦之御魂神(?)
所在地 / ​​常滑市陶郷町4-54
相持院から贄代稲荷大明神 / 相持院を北へ、通りを左に進み300m進むと贄代稲荷大明神。​0.3km、約3分​​。
参拝日 / 2025/10/21
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Last updated  2025.12.16 16:07:59
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