奈良県天理市杣之内町『厳島神社』。
山の辺の道から石神神宮を目指し歩いていた際に通りかかった神社。
鎮座地は、奈良歴史芸術文化村の北300mの国道25号線から、集落に続く道を下った先の小高い丘の中腹に鎮座します。
東天井山古墳の北側にあたるこの丘、これすらも古墳なんだろうか、そんな気さえしてきます。
周辺は右の斜面に柿畑、左は都祁山口神社の杜で、厳島神社は杜の右側の斜面を新たに整地したかのような綺麗社地に社殿が建てられています。

厳島神社社殿全景。
広い社地には一対の常夜灯と鳥居が建てられ、石段が正面の拝殿に続いている。
まず最初に、
写真では常夜灯は一対ですが、2023年のGストリートビューでは一基しか見られず、白い玉垣や綺麗な拝殿など、つい最近整備を終えたばかりに見えます。
この神社は奈良県神社庁に属しておらず、複数の地史に目を通したが詳細は良く分からなかった。
唯一、天理市史に当社を指すと思われる一文を見つけることは出来ました。

白い鳥居は平成15年(2003)12月6日寄進と彫られており、厳島神社の額も新しいもの。

拝殿全景。
切妻平入の向拝付きの拝殿も、築年数を経ていないようで綺麗な状態です。

厳島神社拝殿額。

社殿全景。
社名から祭神は市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命と思われますが、面白いのが拝殿前の古びた常夜灯。
その竿には「辨財天女」と刻まれています。
以前は辨財天を祀る単独の神社だったのかもしれない。

本殿は春日造りで、棟には三本の鰹木と垂直にスパッと切り落とされた外削ぎの千木が載せられています。
外削ぎ、奇数の鰹木=男神。
こうしたことはよく耳にします、それからすると男神を祀ることになりますよね、そうしたことから男神・女神を判断する人は少ないとは思いますが、意匠だけの問題と思っています。

本殿正面全景。
植え込みも石垣も新しく、すぐ左に都祁山口神社杜が迫っています。
今昔マップの1936年頃の航空写真から当地を見ると、今のように整地もされておらず、社地の姿は見られず、国道も通っていない、明確に現れるのは国道整備以降でした。
冒頭書いた一文とは、昭和33年(1958)に纏められた天理市史「都祁山口神社」の中の一文に以下の記述がありました。
『昭和30年、小字辨天に坐す厳島神社を境外末社と定めた』とあります。
小字辨天が当地なのか調べは付かないが、現在の祭祀形態ではないにしろ、厳島神社はそれ以前より鎮座していたようです。
それを示すのが拝殿前の燈籠かもしれない。

社地左の真新しい堂、詳細は不明です。

末社となったのが昭和30年だけのことで、幾坂池の北側にあたるこの辺り、水を祀る神として辨財天が祀られてきたのだろう。
祭神 / 厳島神社(市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命)
境内社 / 不明
例祭 / 不明
所在地 /
奈良県天理市杣之内町
参拝日 / 2025/12/2
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