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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
前回の番外札所浄土寺から、水仙ロードを東に向かい、次の35番札所成願寺に向かいます。 ![]() ![]() 峠を越え、片名集落に続く里道の途中に35番札所 神光山 成願寺の参道が現れます。 北側の山を背にして成願寺、その右には稗田 神明社が並んで鎮座する。 ![]() 南知多三十三観音霊場の幟がはためく参道から、寺標と山門を望む。 当寺の由緒について知多郡史など幾つか目を通したが、詳細は不明でガイドブックに記載された由緒を下に掲載します。 「曹洞宗 神光山 成願寺 本尊 阿弥陀如来 開基 龍喜参公和尚 開山 笑山恵誾大和尚 由緒 左手に海を眺めながら、国道247号線を知多半島の先端、師崎に向かう道すがら、「この門をよけて通れよ風神、とおりに姿のあらん限りは」と成願寺の参道入口を示す石碑が建てられています。 この歌を詠んだ弘法大師は、知多半島に上陸した弘仁五年(814)悪病が流行っていた片名の地を訪ね、当寺は天台宗だったといわれる当寺で、厄除けの法を修行しました。 やがて大師の加持祈祷によって救われた村人は、大師の霊跡として別堂に修行大師像をまつりました。 時は下って、元和元年(1615)笑山恵誾大和尚がこの霊跡の荒廃を惜しみ、堂宇を再興して曹洞宗に改宗しました。 平成七年に本堂の瓦を葺き替えるなどの全面改修が行なわれ、境内には、先の本堂にあった鬼瓦が「風吹不動」として残されています。」 弘法大師が上陸したとされる聖崎は、ここから15分ほどの距離になります。 ![]() 入母屋造の本堂と切妻造の大師堂(左)の眺め。 境内に聳える一本のヤマモモの樹が成願寺のシンボルかもしれない。 尾張徇行記(1976)では以下のように記されています。 『成願寺、府志曰、在同村、号神光山、曹洞宗、属師崎延命寺 ◯覚書二寺内 五畝歩前々除 ◯当寺書上二境内一反七畝歩備前検除、此寺ハ 龍喜誉公ノ開基ニテ 正保二乙酉八月廿二日没ストナリ ◯境内鎮主白山社 聖徳太子堂アリ又村中寺控 秋葉社内六間四方村除、役行者堂 境内四間四方村除』 ここに書かれている鎮守社について、境内を見渡してみたが見つけられないものもありました。 ![]() ヤマモモの樹の手前に祀られる大峯山役行者と水子地蔵(左)。 ![]() その後方に安置されている恩推観音。 年代は読み取れなかったが、穏やかな表情で瞑想にふける姿が印象に残る。 ![]() 阿弥陀如来を祀る本堂内の眺め、左の間に弘法大師が安置されています。 成願寺の寺宝に延宝四年(1676)に円空が彫ったとされる「善女竜王像」があります。 像高約90センチほどで、胸のところに宝珠を口で支えた登り龍の体や角、髭が衣文の中に透けるように彫られており、背面に「竜王献宝珠之像 黙室胆礼謹認」の墨書があり、当寺三世胆礼の筆とされている。 町指定文化財に指定されており、有料拝観が可能。 当寺は知多四国第35番札所・南知多観音霊場第11番札所ですが、近年、円空に所縁のある成願寺「善女竜王像」・如意輪寺「薬師如来像」・慈光寺「弁財天」の三寺で南知多円空三佛霊場を立ち上げたとのこと。 ![]() 堂内の大師像。 ![]() 本堂左手の大師堂に安置されている修行大師像。 悪病除け・災難除けに霊験があり、「修行大師厄除御札」を授かることができる。 弘法大師は「我が姿を門口に貼り置かば、その家悪病災難なからしめん」と大師自らの誓願があったといわれ、いただいた御札は家の門口に貼ります。 ![]() 堂内の聖徳太子像。 知多四国の寺には聖徳太子開基とされる寺や太子像を見かけることが多い。 ![]() 厄除け御札の先に、左手でしっかり子を抱えた子安大師像が安置されています。 ![]() 慈悲深き 弥陀をと頼む成願寺 利益をうけよ思ふまにまに さて次回はお隣の稗田 神明社を訪れます。 第十三回 歩いて巡拝 知多四国 三十五番札所 神光山 成願寺 宗派 / 曹洞宗 創建 / 不詳 本尊 / 阿弥陀如来 開祖 / 龍喜参公和尚 開山 / 笑山恵誾大和尚 札所 / 知多四国第35番札所・南知多観音霊場第11番札所・南知多円空三佛霊場 所在地 / 知多郡南知多町片名稗田9 参拝日 / 2026/02/28 浄土寺から成願寺 / 水仙ロードを東に向かい約50分ほど。
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Last updated
2026.04.30 17:49:03
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