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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
佐布里井洞脇前の多度神社から、八十番札所 栖光院までは、佐布里パークロードを1.5kmほど下流の阿原橋にむかいます。
阿原橋から左に進み、途中、八幡新町の御嶽神社の社頭を見かけましたが、石段の多さから横目に見ながら八幡字観音脇地内に鎮座する栖光院に向かいました。 多度神社から八十番札所 栖光院までは40分ほどの道のりです。 ![]() 御嶽神社の西側で右に曲がり直進し、尾張観音池が見えてくれば、その先が八十番札所 栖光院です。 写真は尾張観音池の北側から眺めた栖光院の全景、境内に聳える楠の巨木がこの寺の象徴かもしれない。 ![]() 参道入口から眺める仁王門。 両脇に塀はなく、門だけがポツンと佇んでいます。 門前には広い駐車場があるので、車で訪れても駐車場に困ることはないでしょう。 ![]() 左右の間に安置されている金剛力士像。 門の建立時期や像の制作年代など、調べておらず詳細は不明です。 ![]() 仁王門に掛けられた山号額、その先に樹齢850年ともいわれる大楠が聳えており、その根は地表にまで現れ、参道や石垣にまで及ぶ勢いを持っています。 参道はここから緩やかな上りとなり観音堂・弘法堂に続きます。 ![]() 太い主幹は上で幾つかに枝分かれ、樹高は優に25mを超えるのではないだろうか。 この大楠の巨木は知多市の保存樹に指定されており、栖光院にはこの他に仁王門脇の黒松が指定されています。 ![]() 参道を上り始めると右側に本堂と庫裏が建っています。 海鳴山 栖光院の由緒。 『栖光院は、元亀年間(1570~1573)頃とされ、往時、海鳴山真言寺と称し、栖光庵・慈林坊を末寺に持つ一山だった。 天正五年(1577)、恵了和尚の時に栖光庵一寺に合併、曹洞宗に改められた。 寛文二年(1662)に建立された観音堂にお祀りされる、本尊聖観音像は仏師春日の作といわれ、三十三年毎に御前帳される秘仏。 寛文2年(1662)に建立された観音堂。また、当寺から裏山に続く石段には「準四国八十八ヶ所」石仏が並んで安置されています。 栖光院の「姿弘法大師」は別名を「影弘法」と称される。 大師像の祀られた茶所は巡拝者への接待のため、長年かまどの火を焚いていたとされ、ある時大師像を動かしてみたところ、煤けた白壁に像の跡が現れたことから、以来壁の補修の際はその部分を残して補修されてきたため、今も壁に残る像の跡は見ることができる。』 ![]() 参道の先は、白壁に挟まれた石段が観音堂に続く。 ![]() 石段脇の手水舎。 楠は本堂の棟を超え、この高さから見ても眼下には収まらない。 ![]() 石段正面の観音堂。 ![]() ![]() 堂内には釈迦誕生仏や十一面観音菩薩など複数の仏画が掛けられています。 ![]() 本尊の聖観音像は三十三年毎に御前帳される秘仏。 ![]() 観音堂(左)と弘法堂。 ![]() 弘法堂の額は弘法大師とあり、右に犬に導かれ高野山を目指す大師の奉納額が掛けられています。 ![]() 堂内の大師像。 ![]() 大師堂の右に安置される石像群。 ![]() 弘法堂右の斜面の上に堂が建てられていましたが、石段に躊躇い行くのは見送りました。 ![]() ましませる さとのなさへも てらもとの ほとけのくどく よにもあまねし
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Last updated
2026.05.13 00:00:10
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