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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
前回掲載した港区明正1の神明社を後に来た道を北上し、国道一号線を超えた中川区法華の神明社に向かいます。
![]() 大正時代の地図から見ると、西中島集落と下中島集落の稲田が広がる中程の桑名街道南側に法華集落がある。 法華の由来は、江戸期の愛知郡法花村を前身とするようで、『尾張徇行記(1792~1822)』には、村内農民の7割が日蓮宗に帰依しており、村には神社は存在しないと記している地域。 現在でも法華地内には長傳寺と妙伝寺の二ヵ寺が鎮座するが、どちらも日蓮宗のお寺です。 村内農民の7割が日蓮宗に帰依したとなると、町中で題目塔を見かけそうですが、明正の神明社から法華神明社までの道すがらで見かけることはなかった。 ![]() 中川区法華の神明社の社地全景。 角地に広い社地を持ち、道路に面する南と東は玉垣で囲まれています。 社殿は中央に拝殿、本殿、境内右側に神楽殿、社務所等の建物が集められています。 緑濃い社叢を持たないため、広々として、明るく風の通りの良い神社です。 ![]() 社頭から境内の眺め。 石の神明鳥居は大正十三年に寄進されたもので、その先の常夜灯は明治時代に寄進されたものでした。 ![]() 愛知県神社名鑑(1992)の法華神明社の解説は以下。 「十四等級 神明社 旧村社 鎮座地 名古屋市中川区法華一丁目二五三番地 祭神 天照皇大神 由緒 社蔵の棟札に寛永十六年(一六三九)に創建とあり 文政十一年(一八二八)に修復する。 村内安全、五穀豊穣の神として尊崇あつく、明治五年七月村社に列格した。 同三十七年四月十三日社殿を改修。 昭和三年十一月九日社殿を改修。 同四十八年八月三十日本殿を造営。 同六十年十月五日拝殿・神楽殿を修復する。 例祭日 十月五日。 社殿 本殿 神明造、幣殿、拝殿、社務所、神興庫。」 解説からすれば、尾張徇行記(1792~1822)が纏められた当時既に神社は鎮座していたことになります。 ただ、1828年に修復とあるので、尾張徇行記編纂当時は、衰退期があったのかもしれません。 ![]() 境内右から拝殿・本殿の眺め。 拝殿は切妻屋根で四方吹き抜けの妻入りで、その先に一対の狛犬と本殿域が連なります。 左手に境内社が祀られています。 ![]() 下り棟や大棟の鬼板には神明社の社名が入っていました。 ![]() 拝殿から先の狛犬と本殿の眺め。 ![]() 子連れ、毬持ちの狛犬。 ![]() 本殿側面、昭和以降の修復歴は不明ですが、千木は劣化し、本来の形状を保っていないように見える。 ![]() 本殿左の境内社。 ![]() 社名札はなく詳細はわかりません。 地誌を調べていませんが、佇まいは秋葉社か津島社ではないかと推測します。 神社はないと記された法華集落だが、神明社に残る棟札から察するに、この神社も新田開発による集落の形成とともに、集落の守護として祀られたのだろう。 社名不明の境内社も集落の除災目的で祀られたものと思われます。 神明社 (中川区法華) 創建 / 寛永十六年(一六三九) 祭神 / 天照皇大神 境内社 / 不明社 例祭日 / 10月第一土曜日 氏子域 / 法華、法華西町 所在地 / 名古屋市中川区法華1-252 明正神明社から法華神明社 / 明正神明社から北に向かい国道一号線を渡り法華地内へ、1.3km、徒歩20分ほど。
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Last updated
2026.06.15 19:19:28
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