|
カテゴリ:神社仏閣・御朱印
三十九番札所医徳院の参拝を済ませ次の番外札所西方寺に向かいます。 ルートは寺の入口から右方向に続く人道を下って行きます。 ![]() 医徳院の入口を右に進むと、港を見下ろす見晴らしの良い場所に島弘法(五十八番から六十番)の祠が建てられています。 今は定かではないですが、尾張徇行記には篠島から「富士山ほのかに見ゆ」と記されているように、島内の高台から今でも富士の姿は拝めるのかもしれない。 ![]() これは前回の医徳院で使用した尾張名所図会の挿絵です。 篠島は延元三年(一三三八)、後醍醐天皇の皇子 義良親王が東北地方へ遠征の途中、暴風雨に遭い篠島に漂着しました。 島は大騒ぎ、親王が再び遠征に向かうまでの仮住まいを用意する必要に迫られた。 篠島港の東に小高い山があり、そこには廃城となった篠島城があった。 島民あげて大急ぎで城を修理し、親王の仮住まいとした逸話が残されています。 篠島城は南北朝時代(1336~1392)、室賀左近太夫秋季の居城だったとされ、その跡地はいつしか城山と呼ばれるようになった。 現在の城山山頂には城山水神天狗が祀られている。 今回掲載する帝井は、篠島に漂着した義良親王にまつわる史跡です。 ![]() 島弘法から少し坂を下ると写真の東屋が見えてきます、ここが帝井になります。 東屋の後ろには赤い社も祀られています。 ![]() 東屋の脇にある帝井の解説。 川のない篠島は水事情が悪く、元来から井戸はあったものの、水量に乏しく、微量に塩分を含む水だったという。 島民は親王滞留の間の清らかな水場を探し求めて、ここに井戸を掘ったというのが帝井のはじまり。 ここから湧き出た井水は、島民により城山に滞在する親王に届られていたという。 そんな水事情の悪い離島ですが、今では1962年に、離島振興法により知多半島先端から愛知用水の海底送水管が完成し、師崎から篠島・日間賀まで送水されるようになり、島民の喉を潤した帝井の水も役割を終えたと言ってもいいかもしれない。 ![]() 東屋の左にも同じ内容の解説板が立てられていました。 ![]() この赤い社には、後に天皇に即位された義良親王(後村上天皇)が祀られています。 義良親王が天皇に即位以後、この井戸を帝井(みかどい)と呼ぶようになった。 現在もなお、島民が見守る中ご祈祷が行われている。 第十五回 歩いて巡拝 知多四国 帝井 祭神 / 後村上天皇 創建 / 不明 所在地 / 知多郡南知多町篠島照浜 医徳院から帝井 / 医徳院から右に向かい、徒歩1分・50m先。 参拝日 / 2026/04/18 関連記事 ・第十五回 歩いて巡拝 知多四国 三十六番札所 天永山 遍照寺 ・第十五回 歩いて巡拝 知多四国 三十七番札所 魚養山 大光院 ・第十五回 歩いて巡拝 知多四国 三十九番札所 金剛山 医徳院 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2026.06.15 19:28:42
コメント(0) | コメントを書く
[神社仏閣・御朱印] カテゴリの最新記事
|