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2026.07.08
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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
知多市岡田高見多聞天。
 前回掲載した日長の山之神から農道を直進し、東海知多新線、県道46号線を越えた岡田高見まで小一時間ほどひたすら歩きます。
岡田に入れば最初の札所もあと僅か。
 岡田は江戸時代初期の慶長11年(1606)、日長郷の奥・中・里の3つの村が統合され、岡田村として誕生しました。
田畑の多い地域で、伊勢から伝わった木綿栽培と機織りが盛んになり、農家の副収入となった。
 特に享保年間(1716~35)になると、岡田村の中島七右衛門と竹内源助が江戸の木綿買継問屋(鑑札)を取得し、海路を活かして知多木綿の販路を拡げました。
江戸時代から昭和中頃にかけては、「知多木綿」として全国有数の木綿生産量を誇り、生産に携わる女工達も多く集まったという。
 その中心地として繁栄したのが岡田で、町の中を歩くと繁栄していた当時のなまこ壁の蔵やレトロな建物が今も残ります。
今は岡田といえば・・・ビールかな。

岡田高見75に鎮座する多聞天。
 奥から石垣が続く毘沙門天坂を歩いてきて、右側が開けた一角の片隅に多聞天と刻まれた石標を見かけ立ち寄ってみた。

入口には岡田街並保存会の多聞天解説が立てられていた。
 「正徳年間(1711~)、中村に住んでいた徳左衛門という百姓がある日、海岸で肥料にする海藻を採っていたところ、不思議な光で輝いている多聞天の尊像が流れついたのを見つけ、拾って家に持ち帰った。
尊像を安置して毎日お祈りを続けていたところ、そのご利益は絶大であった。
 徳左衛門が亡くなって、この尊像を中村の毘沙門堂に移して祀ったのが由緒である。
●現在も岡田二区中組の年寄衆が交代で堂守を勤め、融通念仏を伝承している。」

石標から先の境内は、右に手水があり、正面に毘沙門堂がある。

堂の側面に由緒が掲げられていました。
「昆沙門堂の由来
 創建・享保九年(1724)、本尊は多聞天
  ○当初は萱葺で、九尺四面の本堂であった。
  ○天明八年(1788)、石燈明一対建立。
  ○文久元年(1861)、拝殿建立。
  ※彫り物は、山車の彫師と同じ、瀬川治助。
  ○明治七年(1874)、百五十年忌ご開帳。
  ※この年に、諸仏像と建物がすべて調えられた。
 堂守(日常のお勤めと御堂の管理)
  ○創建当初から堂守が置かれていた。(由来記)
   ※現在までこの制度は引き継がれている。
  ○融通念仏の開祖、良忍上人ゆかりの念仏講も、宗派にとらわれず中組衆によって受け継がれている。」
知多郡史で毘沙門天を調べてみたが、これ以上の情報は得られなかった。

参道右側の手水と古井戸。

鉢には「寛延2年 十王堂 中村若者建立」と刻まれています。
 今から約300年前の若者衆が寄進したものです。

堂は入母屋瓦葺の妻入りで妻側に向拝が付くもので、向拝の先は吹き抜けの外陣と内陣に分かれています。

昆沙門堂で特筆すべきところは破風の手挟や海老虹梁に施された龍の彫飾りだろう。

外陣の格子天井には薄くなってよくわからないが草花が描かれている。
 内陣は左から大黒天・禅尼師童子・毘沙門天・吉祥天・弁才天が安置されています。

左から眺める毘沙門堂。

堂の左に背の高い山車庫と隣に堂が建てられています。

中組山車(雨車)
 「現在の山車は、天保十年(1839)に藤田佐右エ門、藤原雅房が製作。
岡田では一番大型で最も古い山車。
 力神、獅子等の彫刻師は瀬川治助重定。
神前では、上山でからくり人形「綾渡り」、前台で、人形「三番叟」「弥津志」「尾弥間」が奉納される。」
 
毎年4月岡田地区の神明社、白山社の祭礼である春祭りが行われます。
 奥組、中組、里組の3台の山車がお祭り広場に引き出され、木偶やからくり人形の奉納が行われます。

山車庫左の堂の内部。
 薄暗い堂内中央に金色の厨子、左に弘法大師らしき姿が見えます、更にその左右には複数の像の影があるようです。
手水鉢に十王堂と彫られていましたが、もしかするとこの影が十王かもしれません。

 さて本題の知多四国七十二番札所慈雲寺に向かいます。

第十六回 歩いて巡拝 知多四国 多聞天(知多市岡田)
創建 / 享保九年(1724)
本尊 / 多聞天
境内社 / ---
例祭日  / ---
氏子域 / ---
所在地 / 知多市岡田高見75
山之神から多聞天 / 山之神から農道を直進、東海知多新線、県道46号線を越え、岡田町内の岡田二区中組会所へ。​​約2.6km・約40分​​​​。
参拝日 / 2026/05/16
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Last updated  2026.07.08 00:00:10
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