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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
稲永駅から南西に徒歩10分ほどの港区錦町地内に鎮座する錦神社、今回はこちらを掲載します。
![]() 左は大正時代、右は現在の錦町周辺の地図の比較で、かつては稲永新田と呼ばれていた地域に鎮座します。 当時のこの周辺は見渡す限り稲田が広がる一帯で住居などは皆無だった。 その稲田の中にポツンと整地された区画がある。 ![]() この一画は明治45年(1912)、市街地にあった熱田遊郭が移転し、稲永遊郭として開かれた。 地の利の悪さから、中村遊廓に比べリーズナブルな歓楽街で港湾労働者も多かったという。 町名の錦もそうした雅名からきている。 色と欲にまみれた稲永遊郭も、昭和20年(1945)、空襲で焼失して以降、再興されることなく、戦後に赤線地区に指定されていた名楽園・城東園・八幡園・港陽園などに散っていったという。 ![]() その中心に位置するのが錦神社。 錦神社のはじまりは、熱田遊郭がこちらに移転した際、熱田神宮と津島神社を勧請したことにある。 ![]() 社頭の全景。 鳥居は、この社標の立つ北側と、左の道路沿いの二箇所にある。 ![]() 昭和三十七年寄進の社標と鳥居。 社殿はこの先の右側に纏められています。 ![]() 社殿全景。 高く積まれた基壇の上に三社、基壇左に稲荷社が祀られている。 神社の歴史が遊郭誕生とともにはじまることから、新田の鎮守目的で祀られたものではなく、遊郭の鎮守のために祀られたもの。 愛知県神社庁に登録されており、愛知県神社名鑑では以下のように解説されています。 『十五等級 錦神社(にしきじんじゃ) 鎮座地 名古屋市港区錦町一丁目三六号 祭神 熱田皇大神 由緒 この地はもと稲富新田と称し、文政三年(1820)熱田の社人粟田兵部の開拓にかかる。 明治九年(1876)、隣接の永徳新田と合併して稲永新田となり、愛知郡寛政村に属し、同四十年七月、名古屋市に編入し、昭和五年九月錦町と改称した。 大正元年より熱田からの移住者増え錦町の新住者、町内安全を願い奉斎する。 時に昭和七年九月なり。 同三十四年九月、伊勢湾台風で被災、同三十八年本殿を造営、平成二年に改築した。 例祭日 十月十二日 社殿 本殿 神明造、社務所』とある。 港区HPの錦神社解説は以下。 『明治43年頃、建立されたもので、中央に伊勢神宮と熱田神宮が、右に津島神社、左に秋葉神社がある。 御神体はなく、毎年御札を迎えている。 日本武尊、素戔嗚尊を勧進し、後に商売繁盛のためお稲荷さんも建立されました。』 と紹介されているが何れも熱田遊郭については触れてはいない。 創建時期は港区HPでは明治43年頃の建立とされる一方、愛知県神社名鑑では昭和七年に奉斎されたとされ、資料による相違が見られ、本ブログでは神社名鑑の昭和七年と記載します。 ![]() 本殿前を守護する狛犬は色町らしく化粧が施されている。 ![]() 上は狛犬の台座。 寄進年は昭和七年で寄進者には大吉楼・八開楼と楼主名が刻まれ、かつての遊廓の名残を留めている。 この年号の寄進物は常夜灯や東側の鳥居などにも見られるが、明治・大正の元号を記した寄進物は見かけなかった。 このことからも、神社名鑑の昭和七年というのは説得力がある。 ![]() 本殿域には、中央に伊勢神宮と熱田神宮の相殿、右に津島神社、左に秋葉神社がある。 ![]() 本殿は三社ともに神明造で右の津島神社を除いて、千木や鰹木の欠落が痛々しい。 ![]() 境内の手水鉢(寄進年未確認)。 ![]() 境内左の錦稲荷大明神。 創建時期や祭神など詳細は不明です。 ![]() 本殿正面の東参道口。 鎮座地の周辺は住宅街に変貌し遊廓の建物の名残は見られないかもしれないが、居酒屋やシャッターを下ろした店舗を見るとかつての歓楽街の香りは漂ってくる。 ![]() 東側の鳥居から眺める境内。 鳥居の右に「国威宣揚」と刻まれた石標があった。 この神社が創建された時代を思うに、出征を前にここで思いを遂げ戦地に向かったのだろうか。 稲永遊廓の中心で、錦町の鎮守と商売繁盛を願い祀られた錦神社、今は歓楽街の面影はない。 錦神社 創建 / 昭和七年(1932) ※神社名鑑による 祭神 / 熱田皇大神 境内社 / 津島神社、秋葉神社、錦稲荷大明神 氏子域 / 港区錦町 例祭日 / 10月12日 所在地 / 名古屋市港区錦町14-22 公共交通機関アクセス / あおなみ線稲永駅から南西に徒歩約10分。 参拝日 / 2026/8/7
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Last updated
2026.08.18 00:00:08
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