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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
前回掲載した弘法堂から、直線距離で50mほど西に今回掲載する八釼社が鎮座します。 社殿は正面の拝殿と、玉垣で囲われた先の本殿からなり、境内右奥の大きなムクノキの傍らには境内社が祀られています。 愛知県神社名鑑(1992)では以下のように記されていた。 「十五等級 八釼社 旧村社 鎮座地 名古屋市港区土古町字屋敷一番地 祭神 天照皇大神、日本武尊 由緒 創建は明らかでない。 「尾張志」に"八釼ノ社土古山新田にあり"。 土古の産土神として崇敬あつく、明治十二年七月九日村社に列格した。 例祭日 十月五日 社殿 本殿 流造、拝殿、神楽殿」というもの。 引用されている「尾張志」にも目を通したが書かれている以上の情報は得られなかった。 とはいえ、「尾張志」が編纂された天保14年(1843)時点で既に八釼ノ社として鎮座していたのは間違いない。 ![]() 更に寛政期(1789-1801)に纏められた「愛知郡村邑全図」から土古山新田の絵図をみる。 右の地図は名古屋市史から引用した明治44年に纏められた土古山新田の地図。 赤枠が土古山新田で丸部分が鎮座地になります。 絵図には勘定小屋も記され、「寛保戌年築立 人家なし」と記されている。 寛保戌年は1742年にあたります。 興味深いのは八剣社鎮座地付近に「熱田宮」と記されており、仮にそれが八剣社の前身であるとすると、創建は尾張志編纂(1843)以前に遡る可能性も浮かんでくる。 熱田前新田の南、当知新田の東に位置する土古山新田が開発されたのは元文五年(1740)とされる。 創建もその時代まで遡り、何らかの理由で八剣社に変わった可能性もある。 因みに現在この場所に「熱田宮」またはそれに類する神社は見られない。 いずれにせよ、土古山新田の発展の歴史を見届けてきた氏神様で、代々氏子たちにより護り継がれてきた神社だ。 ![]() 拝殿前の狛犬は昭和4年の銘が刻まれたもの。 ![]() 拝殿額は「八釼社」。 新田開発で出来た土地の神社は開発と共に歴史が刻まれる事になります。 個人的に海の近くの地域に足が向かないのはそうした理由もある。 旧東海道以南のこの辺りでも多くの神社が祀られていますが、八釼社は珍しい存在かもしれない。 ![]() 境内から社殿全景。 切妻瓦葺の妻入りの木造拝殿は、梁間・桁行ともに三間の四方吹き抜けのもので、そこから先は玉垣で囲われ流造の本殿に繋がっています。 ![]() 八釼社本殿。 本殿域には本殿一社のみで、秋葉社や天満宮らしき社の姿は見られない。 写真に写り込む燈籠は、境内の寄進物では一番古そうな佇まいですが、銘を見るのを忘れました。 ![]() 境内右の境内社。 8本の鰹木と内削ぎの千木が付く神明造で、木札は見られないがこちらに秋葉社と天満宮が祀られているのかもしれませんね。 ![]() 社地西側から望む境内の全景。 社地西側に道路が南に一本伸びていますが、その道路は緩やかに曲がっており、道路の向かいは民家が連なり、その先は荒子川の護岸が迫っています。 荒子川に沿って緩やかな曲がり方を見せる道路は、かつての堤防のように見えなくもない。 ![]() 社地南側から八剣社と東の弘法堂の眺め。 八釼社(土古町) 創建 / 不明 祭神 / 天照皇大神、日本武尊 氏子域 / 川西通、土古町 祭礼 / 10月第一日曜日 境内社 / 不明社一社 所在地 / 名古屋市港区土古町字屋敷地1 参拝日 / 2026/08/21 土古町3弘法堂から八釼社徒歩アクセス / 西に50m、徒歩1分ほど。 関連記事 ・龍神社 (港区川間町) ・神明社 (港区正徳町2) ・神明社 (港区正徳町5) ・弘法堂 (港区土古町3) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2026.09.10 00:00:08
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