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つららの戯言

つららの戯言

その他

『かけら』 -七芒星-

合わせ鏡の中で、鈴の音がちりんと鳴った。


 山道を登り、振り返る。風の中に鈴の音を聞いたような気がした。
あれからどのくらいの時間がたったのか、諸国を旅し修行を続ける日々。
少したくましくなった足や腕がその月日を物語っているようだ。

腰には1本の刀。半分欠けた針の剣。あの日、皆と別れてから肌身離さず持っている。「俺の闘気で埋めてやる」と天にかかげた半身の剣。
 父を切ったあの時の微笑んだように見えた最期の父の顔を思い浮かべた。あの笑顔はなんだったのだろう。最期になってやっと名前を呼んでくれたあの父の顔は、子供のころに見たおぼろげな記憶の中のものと同じような。
「逃げるな、戦え」と教えてくれたあの頃と。

 
 店先に色とりどりの新鮮な野菜を並べて威勢のいい声で売りさばいている。店先にはたくさんの人。ここの野菜は「安くて、新鮮で、美味い」と評判だ。屋号は「雫屋」 
 若い女が一人で商うこの店は、よからぬ輩が粉をかけることも頻繁だ。そのたびに鍬を振り回して「おとといきやがれ!私には惚れた男がいるんだよ!」と啖呵を切って追い払う。その勇ましい姿に噂が噂が呼んでこの大繁盛。   

 うちで扱う野菜を食べるたびに思うんだ。あんたと棍象とで作っていた野菜の方が何十倍も美味かったって。 あなたは今、どこで何をしてるの。私がいなくて大丈夫?

 寂しさに壊れそうになるたびに、虹の雫を抱きしめる。
 あんたはここにいる。 私は大丈夫。         



畑の傍らで、ギターを抱えて妻を想う歌を歌う。少し調子はずれのその歌に合わせているかのように、木々や野辺の草花がゆれているようだ。
 流れ着いたこの村で猫の額程度の土地を借りて、何とか暮らす日々。あの頃は苦労も半分づつ分け合えた。楽しいことは倍だった・・・。

  寂しいと言葉にすれば辛くなる。だから歌にして風に流す。
「鎗珠」とつぶやくその声は遠く山並みを、川を越えて、想う妻のもとに届くだろか。
 彼女も持つ虹の雫のその欠片がギターのネックにぶら下がり、調子に合わせて揺れている。



 森の奥気合の入った声が響く。その声に合わせてこん棒を振り汗を流す。
 「何かを守るためにはもっと、もっと強くならなくちゃ」
 腕だけじゃなくて、心も。立ち向かい、何度でも立ち上がれる強さを。

 木の枝にかけてある瓢箪。その中には彼女自慢の酢が配合されている特製飲料。 それと一緒に紐で繋がっている虹の雫。



 村のはずれ その村のご婦人連中鍋、釜、包丁といろいろなものをもって列を成す。

 「ここのおにいちゃん なんだ頼りなさげだけど腕はいいのよ」      「なんでもちょちょいて直してくれてさ」
 「ほんとに手先が起用なのよねぇ」 

 そんな世間話に愛想笑いをしながら、せっせと仕事をこなす日々。
 小さい小屋に作業場を作る。神棚よろしく作業場の隅、だけどいつでも目に入る場所に小さな棚をつくった。そこにおかれているのは虹の雫の欠片。   

 俺には何かを強く思うことも、何かを戦い守りぬくこともできやしない。  逃げ腰で、いつもおろおろとすることぐらいしかできない。
 でも、自分ができることを、最大限の努力をしてやりとおすことが大切だ って思うんだ。だから、おれはこの場所で願う、あの雫に。このなんでもな い日々がいつまでも続くことを。




 「お皿、足りないわよ」と怒鳴られても、笑顔で「はいっ!」と明るく返事をして皿洗いの速度を上げる。この町一番の料理店の厨房。やっと頼みこんで皿洗いからの下働きを許された。  
「天下に名がとどろくような飲み屋を作る」みんなと別れる前に誓ったこと。
 おかあちゃんやおとうちゃんの用に腕は立たないけれど、この愛想のよさは負けないよ。戦うことはできなくても、戦いのない日々だったら作れるかもしれない。美味しいものを食べてれば、みんな幸せなんだと、おかあちゃんが言っていたっけ。
 前掛けのポケットの中には布袋。たとえどんなに辛くたってこの虹の雫が入ったこの袋を握り締めれば乗り越えられる。


  町に来た曲芸一座の裏手。檻に入れられた象の前、にこにこときらきらした目をして眺めている。象使いのオヤジが「毎日、来てるなぁ。そんなに象が好きか?」が声をかける。振り返り何度もうなずき、胸の辺りを何度も叩く「俺、象。俺、象使い。」 不信がりながらも、その様子をやさしく見つめる。檻の中の象も、長い鼻の動きを止めてそんな二人を見つめている。

「明日、この町を離れるんだ。なんだったら俺が座長に頼んでやるから、俺の下で働くか?」
 はちきれんばかりの笑顔でオヤジに駆け寄り抱きつく。
 「俺、頑張る。俺、頑張る ハナハナと親方と一緒に頑張る」
首から下がった虹の雫が彼が大きく頷くたびに喜んでいるようにゆれている。檻の中の象もなんだかうれしそうに大きな声で嘶いた。


  君には見えているだろうか、今の俺たちが。
 心配かけてはいないだろうか、心乱されてはいないだろうか
 

 光が鏡に反射して、一瞬少女が微笑んでいるように見えた。


 
  鈴が鳴った。涼やかに、穏やかに。  


『幾久しく』-秋味R-

「戯衛門さま、起きてくださいまし。ねぇ、戯衛門さま」


 細くか弱い手が、俺の肩を揺り動かしている。
 わずかに聞き覚えのあるその声に、顔を上げるとそこには華が咲いていた


「よかった。目を覚ましてくれて」


 長い艶やかな黒髪を下ろし、赤い豪華な振袖を着た華が光を浴びて咲いていた。


 「お、おりかっ!」


 名前を呼ばれて、その華はさらに美しく香りたったようだ。

 「こ、ここは。」  

周りをきょろきょろと見渡す私を、おりかは優しい顔で見つめていた。


 「戯衛門さまと私だけの世界です」

 もじもじと頬を紅い色に染めて、おりかはそうつぶやくと下を向いてしまった。

 「えっ!?そ、それはどういうことだぁ。」  

説明を続けようとしないおりかに私は業を煮やして、うろうろと檻の中の獣のように華の周りを歩きまわるだけだった。  

「戯衛門さまは、おりかと一緒じゃ、二人だけはおいやですか?」


 勾玉のようなその瞳を涙の雫で一杯に溜めて、おりかはじっと俺を見つめていた。


 「い、いやぁ。そっ、そういうことではなくて・・・」  

 普通なら、新の字や半次と違って、俺は女性の涙なんかに動揺したり、騙されたりするような男じゃないけれど、おりかは別だ。おりかを泣かせた自分を殴り倒したいぐらいの大打撃だ。

 「あ、あ、すまん。ごめん、ごめんなさい」  

 頭を米搗きバッタのように、ぺこぺこと頭を下げてご機嫌を伺うしか能がない俺。こんなことをするのはおりかにだけだし、絶対に他の誰にも見られたくない。

 「いえ、わたしこそごめんなさい。泣き虫で」

 
 おりかは人差し指で華露を拭う様に、涙の筋を消した。

 
「戯衛門さま。考えるんじゃなくて、感じてください。ここで」


 俺の胸に当てられた、おりかの花びらのような手の温度が着物の布を通し ても伝わってくるようだ。 
 それと引き換えに、子供みたいに高鳴っているこの鼓動が伝わってしまうんじゃないかと焦ってしまう。


 「あ・・・あ、うん」


 なんだか俺も紅くなっているようだ・・・。なんだこの気持ち。
   

「私、戯衛門さまに謝りたくて。正雪先生と闘っているときに『バカ!』とか『意気地なし!』とか言ってしまって・・・。本当にごめんなさい。」  

 胸の前で手を合わせ、必死に許しを請う姿に俺は熱いものがこみ上げて、そのおりかの手に自分の手を重ねていた。  


 「なにを、なにを言っているんだ。君があの時、俺を叱咤してくれたから、由井正雪を打ち破り、松平伊豆守の陰謀を阻止することが出来たんじゃないか! 礼を言わなければいけないのは俺の方だ」


 「本当に?怒っていらっらないのですか?よかった・・・おりか、ずっと心配で。不安で。 戯衛門さま、怒ってらっしゃるんじゃないかって。嫌われちゃったんじゃない かって」  


 肩をしゃくりあげ、子供のように泣くおりかを抱きしめたい気持ちを必死で抑えた。


 「わたし、すごくうれしかったんです。戯衛門さまの胸のポケットに入れられて一緒に戦えたこと。
 ずっとさびしかったんです。正雪先生のところにいても、一人ぼっちだったし、あ の人、気持ち悪いし」


 あの、オヤジ・・・おりかに何しやがったぁ!拳をぎゅっと握り締め、 切り捨てた師匠をもう一度殴り倒した衝動を抑えた。  


「これからはずっと、ずっと一緒にいられますよね」


 まっすぐに見つめるおりかの瞳が美しすぎて、離れ離れになっていた間に犯した悪事を見透かされているようで猛烈な懺悔の気持ちが湧き上がってきた。その気持ちが、おりかを強く抱きしめるという行為に現れてしまった。  

 「ごめん、ごめんよ、おりか。さびしい思いをさせて。これからはずっと一緒だ。 片時とも、君を離したりしないよ。」  

 おりかが俺の胸の中で「うれしい」とつぶやくのが感じられた。




   「おりか・・・おりか・・・・」



 薄い掻い巻に包まって、男二人が一つのものを見下ろしていた。  
視線の先には 男たちと同じものであるが、敷かれたままの乱れ一つない状態で布団の間に 挟まるように眠っている男。まぁそれはいままでも見慣れた光景ではあるのだが 、 夜更けに見つめるほどの変化と言えば、その男の胸のところ、布団と胸板の間にちょこんと顔を出 すように見えている人形と、その男の表情。

 「これって笑ってんですかねぇ」

 掻い巻に包まった小さい方の、半次が薄気味悪いものを見ているようにつぶやいた。

 「しらねぇよ。こういつが笑うことなんかほとんど見たいことねぇし。」

 お銚子に残った最後の一滴を振り絞って、お猪口を飲み干した。

 「これが笑ってる顔だったら、怖すぎですぜ、旦那。大の男が人形抱いて寝てるだけで怖いっていうのに。 名前呼んで笑ってるなんて立派な怪談話ですって」

 半次は掻い巻の襟元をさらに深く締め込み、がたがたと震えた。

 そんな半次をニヤニヤと見つめ。

 「起こしてみるか? どんな夢見てるんだか聞いてみるのも一興だぜぇ」  

名残惜しそうにお銚子を振って手のひらに付いた一滴を大事そうになめた。

 「殺されますって絶対に。あの殺し屋の目で睨みながら『俺と、おりかの世界を!貴様ぁぁ』  とか言って殴り殺されますってぇ」

 「お前、殺されなれてるじゃねぇえかよ」

 「好きで慣れてる訳じゃないですってぇ」


  どうみても笑顔に見えない、般若のようなその顔の頬の筋肉がまた少し上に上がった。  
 
「「こわっ また笑ってるよ」」

 二人同時に背中にサブいぼがぞわぞわと沸いた。

 「半次、お前飯場いって、酒もらってこいよ。呑み直そうぜ」  

 空の銚子を突き出して、新太之丞は酒の催促をした。

 「いやですって。ここ、この人が値切ったせいで厠にも飯場にも一番遠いんですもん。
 ムリムリ。こんな怖い顔見てから、暗い廊下なんか歩けたもんじゃないですって」

 ここは大阪から1個目の宿場町。あのインド人騒動の後、江戸に向かって帰る途中の1泊目の宿。東海道を歩きながらも、この男は「おりか」と呼ばれるこの人形を胸にいれて、「ああ、花が綺麗だね、おりか。でも君のほうが何倍も綺麗だよ」とか「寒くないかい、苦しくないかい。疲れたらちゃんと伝えるんだよ。君には長旅になるからね」と始終話しかける始末。すれ違う人には怪訝な顔をされるし、ナンパはできないしで俺と半次にとっちゃ最悪だ。

 今回の旅は結局、一銭の儲けにもならず帰りの旅費も納豆之助が出してくれた、ほんの少しの宿代ぐらい。節約倹約だと金を預かる戯衛門が見つけてきたのが、この宿場一番の安宿の一番下のランクのこの部屋。

 「汚いところだけど、江戸に着くまでだ我慢してくれよ」と戯衛門が言ったのは俺たちにではなく、おりかにだった。

 半次は頭をぶるぶると横に振って、そのまま布団を包まってしまった。
 「おいら、もう寝ます。旦那ももう寝たほうがいいですよ。また明日も朝早いんですし」

   布団の山を見つめながら「なんだよ、シケテんなぁ」と呟いた。

 「しかたねぇ、俺も寝るか」

 新太之丞も二人(二人と1体?)に背を向けてぐるりと丸くなってほどなく眠りに落ちた。




         「戯衛門さま」     「おりか」

 見詰め合う二人を阻むものは、もう何もない・・・。


『夜伽』-秋味R-

「戯衛門さま、起きてくださいまし。ねぇ、戯衛門さま」


 細くか弱い手が、俺の肩をやんわりと揺り動かしている。

 わずかに聞き覚えのあるその声に、顔を上げるとそこには華が咲いていた。 牡丹のようなそのたおやかな華に見覚えがあるような、ないような。
 少し不思議な感覚の中に私はいた。

「よかった。目を覚ましてくれて」


 艶やかな黒髪を物憂げに結い上げ、赤い豪華な振袖を着た牡丹が月の光を浴びて微笑んでいた


 「お、おりかっ?!」


 名前を呼ばれて、その華は唇をほのかに緩ませ、こくりと頷いた。

 「こ、ここは。」  

 周りをきょろきょろと見渡す私を、おりかは艶っぽい面持ちで眺めていた。。


 「戯衛門さまと私だけの世界です」

 
 俺に擦り寄るようにしな垂れかかってきた、おりかが俺の耳元でそう囁いた。


 「えっ!?そ、それはどういうことだぁ。」  


 俺は、突然のおりかの艶姿に驚いて、耳元からの感覚を避けるように立ち上がった。
 

「戯衛門さまは、おりかと一緒じゃ、二人だけはおいやですか?」

 足元にすがるようなおりかが、濡れた瞳で見上げていた。
着物の裾は乱れ、おりかの白く細いふくらはぎが月の光のもとあらわになり、妖しい光を放っていた。

 
 「い、いやぁ。そっ、そういうことではなくて・・・」  

 
 自分が一緒にいたころからは想像もできないほどの、おりかの色香に俺は明らかに動揺していた。

 少女だったおりかが、逢えなかった間にこんなに美しい女になっていようとは。


 なるべくおりかの顔を直視しないように少し背を向けるようにすわり直した。


 「戯衛門さま。考えるんじゃなくて、感じてくださいな。こ・こ・で」

 後ろから覆いかぶさるようにまわされた手が俺の胸の辺りを撫で回した。
白く長い指、手入れのされている綺麗な爪が俺の心を鷲づかみしているようで、 俺は息苦しさに眩暈を覚えた。

 「あ・・・あ、うん」

 喘ぎとも、吐息ともつかないような返事をするだけで精一杯だった。
   

「私、戯衛門さまに謝りたくてぇ。正雪先生と闘っているときに
『バカ!』とか『意気地なし!』とか言ってしまって・・・。本当にごめんなさい。」  


 高鳴る鼓動を聞いているかのように俺の背中に顔を寄せ、重さと熱を俺に預けてきた。その重み、その熱は、少女のそれではなく、しっかりとした女の柔かさを含んでいた。

 頭の中で半鐘がさっきからなり続けている。カーン カーンと。



「な、なにを言っているんだ。君があの時、俺を叱咤してくれたから、
由井正雪を打ち破り、松平伊豆守の陰謀を阻止することが出来たんじゃないか。礼を言わなければいけないのは、俺の方だ」



 少ししどろもどろになりながらも、なんとか威厳を保つようにそういうと、あの時と同じぐらいの勇気を振り絞り、おりかの方に向かい合った。 



 「本当に?怒っていらっらないのですか?よかった・・・おりか、ずっと心配で、不安で。 戯衛門さま、怒ってらっしゃるんじゃないかって。嫌われてしまったのではないかと思っておりました」  


 
 おりかは俺の胸に飛び込むように、ぴったりと私の胸に顔をうずめた。

 俺の動揺と戸惑いを表すような鼓動はさらに高鳴り、心の中の何かのリミッターの針が振り切れそうな勢いでガタガタと音を立てて揺れている。
 

 「わたし、すごくうれしかったんです。戯衛門さまの胸のポケットに入れられて一緒に戦えたこと。 ずっとさびしかったんです。正雪先生のところにいても、一人ぼっちだったし、あの人、気持ち悪いし」


 俺の目を上目遣いに覗き込み、濡れたその瞳は俺を掴んで離さなかった。


 チカチカと頭の後ろのほうで火花が散った。


 袖から白い腕が伸び、そっと頬に触れた。


 「これからはずっと、ずっと一緒にいられますよね」


 俺の脳が、細胞の全てがショートする音が聞こえた。 
 

 「ごめん、ごめんよ、おりか。さびしい思いをさせて。これからはずっと一緒だ。 片時とも、君を離したりしないよ。」
 

 俺の思考は停止した。そう俺は・・・おりかのもの・・・・

 俺の口から出てくる言葉はおりかの望むもの・・・・
 

 おりかが俺の胸の中で「うれしい」とつぶやくのが感じられた。




   「おりか・・・おりか・・・・」



 薄い掻い巻に包まって、男二人が一つのものを見下ろしていた。
 視線の先には 男たちと同じものであるが、敷かれたままの乱れ一つない状態で布団の間に挟まるように眠っている男。まぁそれはいままでも見慣れた光景ではあるのだが、 夜更けに見つめるほどの変化と言えば、その男の表情と

 新之字が操っているおりかの人形・・・・


 「旦那、もうやめたほうがいいですって」

 布団の端を銜えて必死に笑いを堪えているのが半次。


 「なんでだよ、おもしれえじゃねえか。顔色がころころ変わってさぁ」

 新太之丞は布団を被ったまま、人形のおりかの手を動かし戯衛門の頬や肩に触らせている。

 「きっとすげぇ夢見てるぜ、こいつ。もう一押しだっ!」

 小声で半次そう告げると、のどがひっくり返ったような声を出して

 「抱いてくださいましぃ~ 戯衛門さまぁ~ん」と戯衛門の耳元で囁いた。

 
 その声は、必死に笑いを堪えていた半次の限界を超えた
 爆竹が破裂するような大きな笑い声を上げてしまったのだ。


 慌てて、新之字が布団を半次に押し付けるも、時は遅し、出された声は元には戻らず


 がばっと布団を跳ねあげるように、身体を垂直に起こした戯衛門は、きっとギリギリという音を立てていたのではないか。

 
 「「ひひぃぃ」」


 眼鏡をしていない戯衛門は、いつもの目つきの悪さに拍車をかけたような殺人鬼の目をしている。
 しかも、すこぶるご機嫌が優れない、今、それは地獄の番人も身を竦めるような、冷酷無情な色。

 音もなく立ち上がり、後ずさりして部屋の隅へ隅へと逃げていく布団の二人を追い詰めていった。


 「かえせ・・・・かえせ・・・・」


 新太之丞が未だ握ったままだったおりかに目をやると、操り人形のように腕をぐっと新太之丞の目の前に突き出した。


 「あっ、あ、これ。すんませんでした」

 
 戯衛門が広げた手の中に人形を納めると、両手をついて頭を下げた。
 しかし、そんなことには目もくれず、自分の手の中に戻ってきたおりかを見つめていた。

 戯衛門が眠る前に、丁寧に髪を梳き、着物も整えたはずだったおりかが、今では髪は乱れ、着物の襟も裾もだらしない有様だった。
 

 「なにを・・・した・・・おりかに・・・なにをした・・・」


 地を這うような低い声で、布団組の二人には視線も流さずにそうつぶやいた。手はゆっくりと優しい動きで、乱れた髪をなで梳かし、着物の乱れを直していた。


 「あ・・・ちょっと拝借して、お人形遊びを・・・・」

 手をこすり合わせ、媚びる様な視線で戯衛門の顔を覗き見るように見上げた。背中には半次が音にもならないような悲鳴を上げながら、びくびく震えながら鬼の形相の視界に入らないように、身を縮めていた。


 
 「旦那も・・・結構楽しんでいらしたようじゃないですか」


 にやけた顔でそういいながら、戯衛門の身体の真ん中を指差した。
 夢の中のおりかにすっかり反応してしまった、それが・・・そこに現れていた。

 
 
 一瞬にして部屋が凍てつく極寒の大地に変わった。空気がピキピキという音を立てて凍り落ちている。


 「き・・・・さ・・・ま・・・ら・・・・・」


 永久凍土の大地から、何かが沸きがって来ている。グツグツと赤い焔が上へ向かって立ち上ってきた


 「死ねぇ!!!」


 怒号とともに噴出した阿修羅と化した戯衛門の姿に
 「ひえぇ!」と断末魔の悲鳴を上げて、逃げ惑う二人。



 ひと時、どたばたと争うような音がした後、「ぴしゃりっ」と障子の閉まる音と、ごろんと何かが庭へと落ちたような音がしたきり、夜の静寂が戻った。


 
 手ぬぐいの猿轡、布団の簀巻きの物体が庭に大小2つ蠢いている。
 
 うぐうぐと言葉にならないうめき声を上げて、目と目で会話をする二人。
 目や頬に蒼い染みを持つ二つの生き物は
 「お前が、でかい声で笑うからっ」
 「旦那が、あんなとこ、指差すから」

 もごもごと身体を動かして責任のなすりあい。バサバサと月を横切る烏の影。寒い夜はまだ長い。


 その頃部屋では、荒れた部屋を綺麗に片付け、薄い布団を重ね合わせて
 まるで太夫の夜伽の布団のように、煎餅布団も少しぐらいは寝やすい仕様に変わった。

 
 再度、綺麗に身支度を整えた、おりかを胸に布団に入る。
 
 まぶたを閉じて浮かぶのは・・・・・




 薄衣の長襦袢もしどけなく、月の光さえ吸い取るような白い肌。
下ろされた髪に指を通しながら、おりかの頬に手を当てる。



         「戯衛門さま」    「おりか」 

 見詰め合う二人を阻むものは、もう何もない・・・。


『庇保』  -荒神-


荒涼とした、砂丘の上 乾いた風がさらさらと砂紋を作っている。


  目の前に広がる広く大きな海は波もなく穏やかに眩しい太陽に煽られるように輝いている。

  「さぁっ、壷に戻る時間だぞ」  

  ツボイがどこぞのポケットから懐中時計を出して時刻を確認した。一秒たりとも狂っていないその時計を眺めながら

  「さっきの契約が完了してから、すでに規定の時間は過ぎている。さっさと壷に戻る準備をしろ」 


 砂丘に腰を下ろしぼんやりと海を見ているジンをせかすようにいらいらとそう告げた。それも、もう何度言ったかわからない。なのに、ジンはツボイの声が耳に届いていないかのように海の向こうの、その向こうを見つめているように眩しい光に目を細めている。 


 今回の契約で少し逞しくなったか?とツボイはその姿を眺めていた。  

 サラサーディーンと、魔界の地獄であるが、再び出会えたことが引き金になったのか それとも彼女を地獄へと落とした男を倒せたからなのか。 
 こんなちびっこい身体で、よくもまあ戦い抜いたものだと褒めたくもあるが、私が褒めたらすぐにこいつが付け上がるのは百も承知、その褒め言葉はぐっと心に仕舞って。  


 「あと・・・501か・・・・」    

 ぽつりと誰に言うでもなく、ジンがそういった。  


 ジンに科せられた【壷詰めの刑】から解放されて、自分の望みを1つだけ叶えてもらうためには人間の願いを千と1つ叶えなくてはいけない。 
 魔物としての屈辱をこれから501、味合わなくてはいけないのだ。    
まぁ・・・それを屈辱と思うかは、本人次第か。お前の父親は罪もちでもないのにそれを普通にやっていたからな。


  砂漠を吹き抜ける風が、ジンの赤いコートの裾を揺らし、ツボイの蒼いコートに流れた。

 「なげえな・・・・」

 「ああ、今回は・・あんな事件が絡んだから特別にポイントが大幅に増えたが 、これからは今までどおり一つ一つ積み重ねないといけないからな。」

 お互い、海を見つめながら言葉をつむぐ。顔を見なくてもお前がどんな顔をしているか分かる。付き合いが長いせいか、それとも。

 これをなんていうのだろう・・・・



 「なあツボイ、『希望』、『確信』っていう言葉知ってるか?」

 目を細めて水平線を眺めている魔物の子供がつぶやいた。  


 「 『希望』 『確信』? ああ、人間の言葉だな。『希望』 が 「ある事の実現を願いのぞむこと。また、その願い。のぞみ。」   『確信』 が 「固く信じて疑わないこと」とあるな」

 私はマグル語辞典を開きそう答えた。 辞典なんか引かなくても分かるその言葉。お前の父親がよく口にしていた、マグルの言葉。



 「人間にはな、結構いい言葉があるんだぜ。 魔力がなくても生きていくために必要なんだろうな。心の力ってやつ?」 


 にやけた面でよく話していた。人間好きのヘンな奴。
魔力では学内、いや、魔界でも指折りだったはず。なのに・・・・・。 



 「地獄にいたサラサーディンが教えてくれたんだ。 その『希望』 と 『確信』 をもってあいつは俺を待っている。俺があいつを救い出す日を。」


 ジンが見つめる海の先を眺めた。青い空と水平線の間のあいまいに混ざり合う碧の線    

 「先は長い。それでも始めなければ終わりはない。お前なんかを信じて待ってくれる彼女のためにも一刻も早くポイントを集めないと。」

 その言葉に、こくりと頷きもう一度強い瞳でその狭境の線を見つめなおすと、音もなくすっと立ちあがった。  


 一陣の風が吹きぬけ、ジンについた砂を払い落として舞い上がる。はためくコートが燃える焔のようには揺れていた。





「あと、501ポントも貯めなくちゃいけないなんて・・・・」  

つなではいつまでもジンとツボイが消えた先を見続けていた。


 「どのくらいの時間がかかるんだろうね」

 「さぁな、永遠の命がある魔物だから俺たち人間の時間の感覚じゃ分からないが、今回は特別ポイントで大幅に増えたらしいけど、これからは今まで同様1ポイントづつだから気の遠くなるような時間がかかるだろうな」


 新九郎もつなでが見つめる先を見ながら二人の魔物たちのことを思った。  
 罪人とそれを監視しながら保護しているような壷の魔人を。    


 「さあってと、兄上これからどうする?」  

 元の陽気な妹に戻ったつなでがまだ二人の後を眺める新九郎の周りをくるくると回っている。  


 雲ひとつない青空を見上げて、乾いた風が長い髪を揺らしてとおり抜けている。  


「そうだなぁ。蓬莱国の酒でも土産に買ってとりあえず村に帰るか!」

 「えぇぇ!!またお酒?? もう兄上はお酒のことしか考えてないんだか!」

 ぷりぷりと頬を膨らましながら木漏れ日の中を、つなでは早足で駆け抜けていった。

 「そんなに急ぐと転ぶぞっ!」  

 振り返り再び、蓬莱の城を望む。何年、何十年後には必ず自分の力で、いや自分たちの力で必ずあの城に入るという『希望』を胸に。       



 「おおっ!ここでうじうじしてても仕方ねえなっ! よし行くぞっツボイ!!」 

 景気付けにパンパンと派手な音を立ててジンは手についた砂を払い落とした。元の馬鹿元気なジンに戻ったようでほっとした。


 「ああ!あっ・・・そうそう言い忘れた。壷の中での禁止事項の追加だ。」  とメモ帳を取り出し読み上げる

 「壷の中でのサッカーボールの使用は禁止する!以上」


 耳を劈くようなジンの抗議の声は魔法辞典とメモ帳で耳に封をしてやり過ごす。ばたばたと砂煙を上げて地団駄を踏むジンを無視して  

「あんな狭い壷の中でサッカーボールを蹴飛ばされる、私の身にもなれ!  片付けても片付けても散らかり放題で落ち着かないっ!お前は壷に封印されているのだ。壷は移動用ポットじゃないんだっ! 」

 まだまだ長い旅になる。あいつがしていかなかった躾をこの俺がすることになるとはなぁ。 


 白い煙が、まるで雲を作るように青空へと吸い込まれていく。


 2人の魔人がいた場所は、吹き抜けた風によって跡形もなくなくなっていた。 


  光が帯を作る海原に、プカプカと水色の壷が浮いたり、消えたり。壷の柄の眼鏡の瞳は、なんだか不快にそうに鈍く光っている。
 きっと狭い壷の中で、 禁止事項の規約を破り、魔物の子供が球蹴りでもしているのだろう。 


「がんばれっ! ジンっ!」      


          「頑張ってください、ツボイさん」   

                        
                                                       「信じています。ジン」


『山桜』


 あなたが私を呼ぶ声が聞こえます。
 
 願ってはいけないことだと分かっていても、助けに来てくれることを心の何処かが縋っている。

 真っ暗闇な私の中に柔らかな光を差し込んだあなたの声が聞こえます。



 私の足元には、さっき散った花びらが血の海の中で重そうに沈んでいきます。踏みにじられ、紅く染まった薄紅の花。赤黒い闇に吸い込まれていくように深く落ちていってしまいます。


 あなたと、山に行きたかった・・・。


 あなたが育った山で

 あなたが愛した獣たちを、花たちを一緒に見たかった。


 身体の痛みはとうに限界を超えて、意識が薄く遠のいていく。

 見えるものが全て血の色に見える。

 こんな私の末路には、こんな有様がお似合いだ・・・・

 


 最期にあなたに逢えて幸せだった。
 
 あれは、吉原者たちが私にかけてくれた最後の情け。

 いくら吉次が上手く立ち働いたからといって、誠一郎様をそうやすやすと一人で元裏柳生のくのいちのもとへ行かせるはずはない。

 
 過去を捨てて、勝山太夫として生きていけたならどんなに幸せだったろう。


 男たちが女を慈しみ、愛し、その思いに答えるように
 女たちが美しく輝いていたあの街で。

  

 
  
 また、あなたがあたしを呼ぶ声がする。

 


 先に行きます、あの山へ。

 満開の桜のもとで・・いずれまた・・・



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