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ここのところ、消防団の小型ポンプ操法の練習と各種団体の総会に、絶賛 参加中のホホエモンです。
さて昨日は、三次広域商工会の第6回総代総会でした。 今年は、三次広域商工会の役員改選でした。 ホホエモンは、引き続き甲奴町地区からの総代理事に就任させていただきました。がんばります! さて今年は、合併から6年間会長として商工会員のためにご尽力いただいた、沖田会長が、ご勇退されました。 6年間、本当にありがとうございました。 最後に沖田会長から、プレゼントをいただきました。 それは、沖田会長の息子さん夫妻のヴィオラ演奏でした。 ホホエモン、沖田 孝司さん夫妻の演奏を聴くのは、初めてでした。 沖田さん夫妻のご活躍は、よく耳にしていましたが、その演奏を聴くのは、 本当に初めてでした。 ヴィオラの音を、これがヴィオラとして聴くのも初めてでした。 4曲、演奏されました。 1曲め 「かわいいカラスの子」か~わいい七つの子があるからよ~♪です。 2曲め 「川のながれのように」 美空ひばりさんの名曲です。 3曲め 「愛の賛歌」あなた~がいるだけで~、私は、幸せよ~~♪ です。 ラストは、沖田さんのオリジナル「あなたに逢えて、よかった」 (注)キョンキョンの曲では、ありません。 1曲、1曲にMCで解説と語りが、入りました。 その語りも、素晴らしかった。演奏も、素晴らしかった。 うまく表現できないのだけど、ヴィオラの音って、ハーモニカとか、アコーデオンとかその種の、すごく哀愁が、ある音でした弦楽器なのに。 もう、ズド~ンと心を揺さぶられました。 曲の構成、語り、演奏、音・・・。 「愛」です!愛! 会場全体を「愛」で包み込まれたような感じ。 最後の曲「あなたに逢えて、よかった」は、様々な映像が、 頭の中をゆっくりと、そしてはっきりと流れました。 会場にいる、あちこちから鼻をすする音が、聞こえ・・ 前を見ると、ハンカチで目を押さえてる男の方、多数。 ホホエモンも、油断するとしゃくりあげて泣きそうでした。 もう、会場いっぱい拍手が、鳴り止みませんでした。 いや~、すごかった。やばかったです。 本当に沖田会長、最後までありがとうございました。 さて、沖田 孝司さんですが、6月に広島、三次、東京でリサイタルを 開かれます。 ホホエモンは、三次のリサイタルにぜひ、行こうと思っています。 詳細は、こちらのHPで、見てくださいね。 そのリサイタルのポスターに書いてある沖田さんのエッセーを 下に写させていただきます。長文ですが、ぜひ読んでみてください。 ココから、引用~~~~ 沖田孝司、花も実もある54歳。 これまでの私を振り返ってみると・・・、 たまたまですが、18年毎の大きな3つの時代に分かれるようです。 1958年、山間の広島県双三郡三良坂町(現三次市三良坂町)に生まれ、 なんの因果かヴィオラと出会い、 3ヶ月しか手にしてないにもかかわらず、 右も左もわからないまま東京音楽大学に入学した18歳。 卒業後、渡独し、 ドイツ国立デトモルト音楽大学にて研鑽を重ね、 ドルトムント市立フィルハーモニーオーケストラに就職。 その後、 13年にわたるドイツ生活に別れを告げ、 日本に帰国し、広島市に居を構えた36歳。 そして、 試行錯誤の中、大きな節目を迎えそうな今日この頃の54歳。 高校球児だった私は、 甲子園出場の夢破れ、 引退した高校3年の8月、 作った曲が、 当時、日本ポップス界におけるひとつの登竜門だった 「ヤマハポピュラーソングコンテスト」全国大会出場決定という栄誉も手伝い、 進路についての三者懇談の席上、 両親と担任の前で、音楽を志したいという破天荒な宣言。 が、小さい頃、少々音楽をかじったぐらいのことで、 音楽と正面から向き合ったことのない私に周囲は猛反対。 晴れない日々を過ごしていた11月、両親から、 1年後に音楽大学入学という結果が得られない場合は家業を継ぐという条件付きで、 1年間の音楽挑戦権を獲得。 執行猶予期間が始まると同時に、 偶然では片づけられないヴィオラとの出会いがあり、 その数週間後、教えを請うた川本先生から、 来年のため音楽大学を1校だけ受験しようと勧められ、 青天の霹靂か、わずか3ヶ月にして現役で合格。音楽家への一歩を踏み出しました。 東京音楽大学での4年間は死に物狂いでした。 両親には、 まったく得体と将来の知れない私に、 勉学というチャンスを与えてもらいましたし、 長男である私が家業を放り出し、飛び出しましたので、 弟にお鉢が回ることも想像できましたし、 なんとか、いや、なにがなんでも一人前になろう、ならねばと過ごした4年間でした。 卒業年、 まだまだ勉強が必要な私は、師匠の田中あや先生と話し、 さらに4年間の研鑽を積むため東京芸術大学受験を決断。 そして、 先生の旦那様である田中千香士(たなかちかし)先生 (当時、NHK交響楽団コンサートマスターから東京芸術大学助教授に転身)に相談。 返ってきた最初の言葉は「来るな!」の一言。 その意は「同じお金を使うなら外国に行って勉強しなさい」というもの。 先生から頂いた推薦状を懐に、ドイツへと旅立ちました。 ドイツでは、未熟な生徒ながら、 素晴らしい師との運命的な出会いがあり、ステップアップ(?)。 その間、結婚、就職し、二人の子供にも恵まれました。 いずれ日本に帰るならば「キリの良い時に」と思い立ったが吉日、 長男が小学校に入学する1993年、 所属していたドルトムント市立フィルハーモニーオーケストラの仲間たちと、 広島原爆被爆者支援の為のチャリティーコンサート「HIROSHIMA’93」を開催し、 その入場収入と実況録音版CDを携えて日本に帰国。(CD売上げも含め広島市に数百万円を寄付) その際には、千香士先生から、 「ヴィオラは希少価値だし東京に戻っておいで」とのお言葉。 しかしながら、故郷で音楽を伝えていきたいとの思いがあり、 広島市に居を定め活動を開始し、現在に至っております。 4年前、千香士先生を大好きな弟子たちは、 関東では「ちかしオーケストラ」、 関西では「ちかしアンサンブル」を結成し、 病気を抱えていらした先生に、 可能な限り指揮台に立って頂こうというコンサートを企画。 関西の「ちかしアンサンブル」編成に当たっては、 いの一番に沖田に声をかけるようにとの思し召しがあり、 都合、関西で2回、関東で2回のコンサートを開催。 (関東での2回目コンサートの直前に千香士先生は逝去) 関西での2回目のコンサート後、千香士先生より私に、 「可能なら楽器を買い替えること」、 そして、 「君のヴィオラと音楽を私の目の前で披露すること」という、 ふたつの大きな宿題が投げかけられました。 楽器については、 今しばらく猶予を頂き、 演奏会に関しては、 不安が頭をよぎりつつもその場で決心して開催を約束しました。 3年前の1月、 その演奏会の相談のため、 先生を訪ねる予定の1週間前、 千香士先生は還らぬ人となられ、 結果、未だ果たせぬその約束は遺言となりました。 そしてこの度、 その約束を実行すべく、 元気と勇気をふりしぼり、 私の出身地の広島県三次市、 現居住地の広島県広島市、 そして、 千香士先生の待っていらした東京の3都市にて、 柄でも器でもないリサイタルを開催します。 名前に「孝」の字が付いているにもかかわらず、 いろんな人に迷惑、心配をかけっぱなしの「不孝」な私ですが、 喜びとともに、 これまでの集大成としてリサイタルに臨みたいと思っております。 もちろんそこには、 家族、道標となってくださった先生方、 刺激と感激を共有している仲間たちへの感謝の意もあります。 極めつけは、この10年間における、 2度とも3カ月の入院生活を余儀なくされた交通事故のこと。 特に2度目の事故では、 両手首橈骨を骨折し、 生田義和先生の再手術がなければ、 ヴィオラ奏者としての私はもはや存在していません。 沖田孝司、華も美もある54歳。 リサイタル開催の旨を東京在住の田中あや先生に連絡したところ、 このようなメールが帰ってきました。 「ルーテルには必ず行きます。楽しみに待っています。 主(あるじ)=千香士先生)もそのあたりをウロウロしているので、きっと聴きに来ますよ。」と。 引用ここまで。 リサイタル行きませんか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.05.26 17:44:56
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