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父の小細胞肺がん 闘病記~それから~

父の小細胞肺がん 闘病記~それから~

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2014.03.19
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以前にも書いたことがあるけれど、父はじん肺専門の病院で
小細胞肺がんと診断されました。

父は小細胞肺がんと同時に、じん肺とも診断され、アスベスト労災の
申請を病気とわかった直後に始めました。

提出する書類は山のようにあり、父が大工として仕事を始めてから
の履歴をずーーーっと呼び起こし、それでも父の場合ずっと国民健康保険
だったので、どこで何年勤務していた。という履歴がなく、この思い出す
作業が至難の業でした。

せっかく思い出せても給料明細やら、そういった証拠はいまさら
50年も昔のものとってもいないし、半ばあきらめ気味でした。

でも父は生前”お父さんが死んだ後も、労災に認定されればお母さんが
これからお金で苦労することがないから”と一生懸命書類を書き
何度も足を運び、とにかくとにかく、亡くなる数日前にも
祈る気持ちだ~と言っていました。

とにかく、父は自分の亡き後の母の生活が心配だったのです。


父が亡くなって3か月と14日。
アスベスト労災に認定されました。

お知らせが届いた時には、こらえようがなく泣けてきました。


母と結婚してから、父は母のために懸命に働き、私が生まれてから
私と母のためだけにただただ働き、ずっとずっと経済的にも精神的にも
私を支えてきてくれました。


父は亡くなっても尚、私と母を支えてくれるのだと感謝の気持ちで
いっぱいです。

仏前に手を合わせ、まだ納骨していないので父の骨壺をぎゅーっと
抱きしめ、お父さんよかったね。ありがとうを伝えました。


ガンと告知されてから1年。
旅立ってから3か月と少し。これで父もようやく安心できたかな。



お父さんゆっくり休んで、私とお母さんにいつかまた逢う日まで
待っててね。





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最終更新日  2014.03.19 11:02:53
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