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カテゴリ:小細胞肺がん父の闘病記
以前にも書いたことがあるけれど、父はじん肺専門の病院で
小細胞肺がんと診断されました。 父は小細胞肺がんと同時に、じん肺とも診断され、アスベスト労災の 申請を病気とわかった直後に始めました。 提出する書類は山のようにあり、父が大工として仕事を始めてから の履歴をずーーーっと呼び起こし、それでも父の場合ずっと国民健康保険 だったので、どこで何年勤務していた。という履歴がなく、この思い出す 作業が至難の業でした。 せっかく思い出せても給料明細やら、そういった証拠はいまさら 50年も昔のものとってもいないし、半ばあきらめ気味でした。 でも父は生前”お父さんが死んだ後も、労災に認定されればお母さんが これからお金で苦労することがないから”と一生懸命書類を書き 何度も足を運び、とにかくとにかく、亡くなる数日前にも 祈る気持ちだ~と言っていました。 とにかく、父は自分の亡き後の母の生活が心配だったのです。 父が亡くなって3か月と14日。 アスベスト労災に認定されました。 お知らせが届いた時には、こらえようがなく泣けてきました。 母と結婚してから、父は母のために懸命に働き、私が生まれてから 私と母のためだけにただただ働き、ずっとずっと経済的にも精神的にも 私を支えてきてくれました。 父は亡くなっても尚、私と母を支えてくれるのだと感謝の気持ちで いっぱいです。 仏前に手を合わせ、まだ納骨していないので父の骨壺をぎゅーっと 抱きしめ、お父さんよかったね。ありがとうを伝えました。 ガンと告知されてから1年。 旅立ってから3か月と少し。これで父もようやく安心できたかな。 お父さんゆっくり休んで、私とお母さんにいつかまた逢う日まで 待っててね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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