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映画・演劇日誌

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2005.01.05
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カテゴリ:カテゴリ未分類
谷川俊太郎さんに「悲しみは」っていう詩がある。

「悲しみは」
悲しみは
むきかけのりんご
比喩でなく
詩でなく
ただそこに在る
むきかけのりんご

悲しみは
ただそこに在る
昨日の夕刊
ただそこに在る
熱い乳房
ただそこに在る
夕暮れ

悲しみは
言葉を離れ
心を離れ
ただそこに在る
今日のものたち

この詩を読んで、柄本明氏の「絶望の授業」を思い出した。
NHKの「ようこそ先輩」という番組で、氏が小学生を相手に授業をしたのをまとめた本である。
柄本氏は小学生に提案する。「『絶望』をテーマにした芝居を作ってみよう」と。小学生が選んだ題材は、「自殺」「核戦争」「災害」などなど。柄本氏は否定する。で、柄本氏は、机に鉛筆を1本置く。「これが『絶望』です」と言うのだ。また、小学生に背を向け(黒板に向かい)「がんばろー」と叫ぶ。この「背中」が絶望だと言うのだ。小学生たちはキョトンとする。私は私なりにですが、なんとなくですが、柄本氏の言うその「絶望」がわかるような気がするし、興味がある。
存在してしまった悲しみというのか・・・この前、稽古場で上記のことを引き合いに出しつつ、「このシーンは『絶望』でやってほしい」と、言った。稽古場はキョトンだった。
まだまだ演出家として言語化出来ない私のせいではあるが。
ニンゲンは余剰なんだと思う。一般論化したらズルいですな。私は余剰です。「無用の用」を求めて芝居を作ってるのかもしんない。
何年か前、芸術創造館のクラシックルネサンスで、PM/飛ぶ教室が藤沢清造の作品をやったときの白井哲也氏の芝居がそうであった。そこに在るだけの悲しみであった。ニンゲン一体が岩のようにゴロン転がっているような岩(違和)感、それでも存在を消せず、存在してしまっている悲しみがあった気がする。

とにかく、そのような「絶望」をどう表現出来るのだろう、と、考えるのだ。コトバで言い表せないものを言い表すためには、外堀をコトバで埋め尽くし、「それ」に迫るしかないのか。短いセリフを重宝し、ときには「思わせぶりである」と批判も受けたことのある私であるが、今はコトバを尽くそうと思う。言い表せないものを言い表すために。

読売新聞にて、情宣。
夜、創造館にて稽古。
稽古後、美術打ち合わせ。

「数学物語」矢野健太郎(角川文庫ソフィア)読了。





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Last updated  2005.01.06 08:10:11



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