アニキサス・インケーンさんへの伝言
(1)☆創価学会会憲の制定. http://sokafree.exblog.jp/27087150/(2)創価学会会憲の無断コピー・ネット再配布:創価の森ウォッチ140 https://captivated2.blog.fc2.com/Fblog-entry-526.htmlどうでもいいけれど、あべひさん 突っ込むところ ソコじゃないでしょ(苦笑)本来 文句を述べなければいけないのは 谷川さんや原田さんじゃないでしょうかね(或いは 新麹町事務所にお勤めのあのお方か・・・)ちなみに 宿坊板によれば 件の会憲、発表当日の9月1日聖教よりも先に、時事通信へ情報を流し、web上でこっそりと掲載されていたんだとか。さらに、元々、会則が整備されていた。・・のにも関わらず何のために?重複性の強い会憲の必要性があるのか?疑問な点が多く宿坊板の住人は あまりの「唐突さ」と「不可解さ」に 「普段なら 創立記念日の11月18日実施するのが慣習なのに なに故に なんでもない9月1日 突然 発表するんだ??」とか「魔僧の再誕」とか「職員の坊主化」とか・・とまぁ 評判が芳しくなく非難轟轟 また 不自然な日に しかも聖教よりも時事通信が先にキャッチして報じられ突然、思いついたかのような発表をしている事から 池田氏重篤説が再び浮上してきているし(今更ながら 池田先生は「今でも元気です。」なんて嘘をつかないでくださいね 何せ 柳原さん 誰も述べていなかったことを、つい述べてしまい 「池田氏が元気じゃないことを」コラム日誌で自白し証明していますよ 【参考】http://potato.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1292818000/317)挙句の果てに、この一件で 今から3年前の夏に話題にもなった「教学レポート」に書かれていた内容が「3年前の大御本尊決別」と相まって もののみごとに当たってしまい結局、このことによって、あべひが主張するところの「怪文書」ではなく完全な内部告発だったことまでもが証明されちゃって・・・結局 あべひさんが提起した、菊川さんに対する、その問題は著作権云々以前の話があり あきらかに 中央の不手際から招いた結果でしかなくもし 中央が時事通信に流さず 聖教か本部幹部会かなんかで最初に発表しておけば本人は載せなかった話であって熊本地震時にクジラさんへお説教してミスリードをした時と同様 今回も的外れな 縦割りばかりが先走り 融通が効かない ブレたお説教なんだよねつか新しい規則すらシェアしちゃいけねぇーのかよそれとも何かい? この新しい会憲、あなたから見たら誰にも見せたくない みっともない会憲だと言いたいのかなぁ・・・それと、この人、著作権云々と まぁ・・富士宮ボーイ掲示板、およびクジラ板の時代から口うるさく 蘊蓄傾けて書いているけれどところが 池田先生が関西で活動した際 絶賛した・・とされる「威風堂々」が 実は軍歌「愛馬とともに」の替え歌だったことは スルーなのかな?この件は、2ちゃんでも「パクリ堂々」と揶揄され その後、宿坊2と, なぜか第三者経由でクジラ板にも、シェアーしたら あべひさん 急に大人しくなってしまったので、読んだのかなぁ・・と思ったんだけれども相変わらず アレなモラハラをしている様子だと なんか読んでいらっしゃらない様子…というわけで ちよさんも 菊川さんも 今後 座談会等々で「威風堂々」を歌うと あべひちゃんが「瞬間湯沸かし器」になって、叱られるかもしれませんね・・つか タイトルからして「コレ」のパクリなのであとはお察しください・それにしても こんな「揚げ足取りにも等しい喧嘩」ばかり7年以上もやってもお互い平行線のまま進歩も成長も出来ていないんじゃないでしょうか?挙句の果てには、「スナックち〇」と「キャバクラあ〇ひ」の顧客争い 「こっちのお店に在籍しているお嬢様は良質だけれど、あっちのお店のお嬢様は性悪」「いやいや・・・ あっちのお店に在籍しているお嬢様こそ性悪で こっちのお店のお嬢様は性悪」しまいにゃ シマを巡って抗争にもなっていたりしてその陰で「club-SDI」が着々と業績を延ばして 双方とも共倒れこんな姿を見て「創価学会が素晴らし宗教だ」なんて思う人なんかいないし今や、法華講あたりまでもが 宿坊、反宿坊板から見る創価学会内における内紛「ブログ村にいる創価ブロガー」等の振る舞い見て「あれこそが頭破七分の顕れと自戒本逆の現証だ」等とあの大月天さんですら突っ込むのも面倒くさくなるほど 失笑を買う始末それでも双方とも「先生!僕はやりました 広宣流布に貢献しているんだ」・・・と思い込んでいるんだから本当、柳原さんが言うように「バカにつける薬」がないようです.どうでもいいけれど 妙法のジャーナリストを自負する柳原滋雄さん 私は、その記事の見出しから 下記の御金言を、ふと思い出してしまいました。身子と申せし人は仏にならむとて六十劫が間菩薩の行をみてしかどもこらへかねて二乗の道に入りにき大通結縁の者は三千塵点劫久遠下種の人の五百塵点劫生死にしづみし此等は法華経を行ぜし程に第六天の魔王・国主等の身に入りて・とかうわづらわせしかば・たいしてすてしゆへに・そこばくの劫に六道には・めぐりしぞかし。(堀日亨編纂 新編御書P.1560)身子が六十劫の菩薩の行を退せし乞眼の婆羅門の責を堪えざるゆへ久遠大通の者の三五の塵をふる悪知識に値うゆへなり(堀日亨編纂 新編御書P.232)さて、ここで問題です。 上記 御金言に出てくる「身子」とは誰の事を指すのでしょうか?当てた方は 個人的には身をもって読んでいる方だとお察しいたします。もちろん、身子・といえば、当時の舎利佛を指しますが・・・にほんブログ村