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カテゴリ:開目抄
― 第一に形式 即ち外相に就いて(3) ―
本抄について残念な事は 御正本が明治8年(1875年)に身延山で焼失して寸紙も残ってなく 日乾の対校本が本満寺にあるのみで 御門下の時代写しの本も無きようである。 もっとも興尊「門徒存知事」の中にも・・・・・ 一、開目抄一巻、今開して上下と為す。 佐土国の御作・四条金吾頼基に賜う 日興所持の本は第二転なり 未だ正本を以て之を校えず。 (堀日亨編纂 新偏御書:P.1604) http://www.sokanet.jp/sg/sn/gosho_text.html?key1=1604&ref=null ・・・と記せられてあるが、その興尊の写本も今、富士諸山に現存せず 僅かに重須本門寺に興尊直写の要文二巻が珍蔵せされてあるが 中世の日暁学頭が末丁の興尊の筆の下に拝見の記しとしてか 自己の名を記せし事が目障りとなり ある学匠は「筆致等 異なるには拘らず直に全文を日暁筆」として 開山直筆なる事を否定しておるは無理からぬ事ながら 実はこの要文の中に「一」も「日興」とも「白蓮」とも記名無くして 余りに開山筆に視熟せぬから、最後の文に・・・・・ 「正和六年(1317年)二月廿六日御影堂にて」・・・とある。 その下に少し距だてて、また・・・ 大文字で「日暁」 ・・と、「のみ」あるから そのように速了されたのぢゃが 大躰【たいてい】は全文「興師」の艸筆であるに 毛頭の疑いなき特に珍重すべき宗宝であると断定する。 【参考資料】 http://www.geocities.jp/jfcps873/kanren2/shoshukyougi1.html http://yasai.2ch.net/koumei/kako/1011/10112/1011284424.html 「eco◆Smw69BiSBO」より ※上記2つの資料の中、波木井氏の発言に注目してください。 まず、開目抄を始める前に、何故 序講を掲載する事にしたのか? また、その「序講」も何故、池田大作氏の序講は採用せず 堀日亨上人の「序講」を採用しているのか? この上記2つ資料を鑑みれば解る筈です。 因みに先日「聖教新聞」の出版センターへ伺った処 戸田城聖氏講義の「開目抄講義」 (原題:「日蓮大聖人御書十大部講義」)が 「御書講義全集」のコーナーには、全く置かれておらず その代わりに池田大作氏が 近年になって「大白蓮華」紙上にて講義をした「開目抄講義」が販売されている。 しかし池田氏の「開目抄講義」は、所処、端折っている部分が見受けられ あまり掘り下げて講義を行っていない側面があり、充分ではない。 ※原本では「旧かな使い」や難解な表現が多分に含まれていた為 一部の文章につきましては解りやすい表現に治した部分もあります。 また、難解な表現につきましては「Infoseekマルチ辞書」へLinkさせております。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009年01月08日 22時09分30秒
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