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カテゴリ:信心出来レース
先日(2014年1月31日付)のブログでは『でたらめな弟子達』・・と言うタイトルで
昨年(2013年)の7月に発生した 富士宮での河内平野氏の事を書いたのですが
1つ 言い忘れていた事がありました。

実は 富士宮掲示板にて Upされていた 例の記事・・ 
「どこかで聞いた事があったなぁ~」・・と思ったら
事もあろうか!創価学会を脱会した方の論文を、まるまる引用をして
法華講相手に、破釈を挑んでいたようですね。下矢印
 
「犀角独歩」何故 わたしは、所謂「本門戒壇の大御本尊」の真偽を論じるのか
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/doki.html
 
おいおい・・・雫 

外部の人(創価学会の人以外の信仰者)が
法華講(日蓮正宗の信者の事)相手に主張している内容なら、ともかく
普段から『日蓮直結』とか謳っている筈の創価の人間が「脱会者の文章」を引用した挙句 
法華講(日蓮正宗の信者の事)相手に主張していたら 身も蓋もないでしょうよ

因みに「弘安2年の御本尊が偽作だ」等と言う主張は 今に始まった事でもなく
既に戸田城聖氏が会長だったころから、身延を中心に主張していた事で
その内容の殆どは、東洋思想哲学研究所の所長でもある「松岡幹夫等」の流れを組む
金原明彦や 創価大学の宮田幸一氏等の主張と 略、同じです。

中には・・・
「(弘安の御本尊は)日有上人が作ったパッチワークものだ!」とか述べていた学者もいて
その事を戸田先生がきっぱり否定しており 
また、創価自身も 疑いもなく 大石寺の言う事をまともに信じた教義に基づいて
東日本大震災と同じ日の昭和30年(1955年)の3月11日に
後の会長となる池田大作を司会進行役として その事も含めた小樽法論を行ったわけです。

※弘安2年10月12日の一閻浮大総与の御本尊についての戸田氏の見解
(戸田城聖全集2巻「質問会編」第六刷 P.13)
http://situmon30.blog122.fc2.com/blog-entry-3.html
※小樽法論(弘安2年10月12日に顕された御本尊に関する質疑・応答)
http://youtu.be/Y4zrekJu5sk?t=4m28s

従って 創価自身が大石寺に安置されている、弘安2年10月12日に顕された 
一閻浮大総与の大御本尊を『後世の創作物だ』・・・と断じきるのであれば 
当時 小樽にて身延の人と討論をした行為は 結局 
声闘【ソント】丸出しの 嘘八百を並びたてていた 強弁や詭弁だった訳で
結局『身延の方が正しかった』・・と言う事にもなり
同時に 小樽問答自体「間違い」だった事を認める形にもなってしまいます。

小樽法論.png

そうなってくると身延にも謝罪をしなければいけなくなるわな・・・

また下記の文章は その創価さんが述べる 後世に作られたパチモノの大御本尊の前
「法華経=将軍学」・・と言う結論を出したのですから、

人間革命2.png

当然、池田氏の指導は・・・
  「間違がった見解に基づいた指導」 或いは
  「勘違いな見解に基づいた指導」50年以上も続けていた・・と言う事にもなり 

この時点で・・・
池田大作の指導は全て、でたらめでインチキだった
・・と言う事にもなるため、当然、潜聖増上慢の獅子身中の虫である以上
創価学会会側72条によって 池田大作を除名にしないといけなくなります。

つまり、この人たちは 池田氏の前では「表向きは池田先生の弟子」と言い放ち
パッチワークの御本尊の前で悟った内容の指導を信じていながら、その大元を否定する
二律背反の矛盾を起こして 支離滅裂にもなっているわけです。

そういった意味でも、弘安2年の御本尊を否定するのなら 
池田先生の指導を全て、捨閉閣抛にした上で、除名にする事が出来ますか?
また松岡幹夫さんは インチキ指導者が作った 東洋哲学研究所も辞める事ができますか? 



また 創価学会の教学部や松岡さんや宮田さんに伺いますが 仮に、百歩譲って 
『弘安2年の御本尊を後世の御本尊で 日蓮は一度も御本尊を顕さなかった。』・・としましょう
では 諸天の配列等々や意味等々も含めた図式を見事に御図顕あそばされた
その作者(製作者)は 一体 誰なのでしょうか?

更に あの曼荼羅に書かれている内容は「日蓮大聖人の御内証」だった訳で
目的も 後世の為に顕された御本尊だった訳ですから 当然 脇書きの対告も含めて 
ある種の数式や法則等々が書かれている筈で それなりの意味や価値を持っている訳ですが
仮に 日蓮は一度も御本尊を顕さなかった。 否 顕せなかった・・となれば
当然 模式も含めた 基礎や内証等が後世には伝わっておらず
従って その作者は 根拠としては乏しい状態のまま 主観や推測 想像力に頼った 
「我見が混じった本尊を顕していた」・・と言う事にもなるわけですが
当然 その作者は「日蓮を師」とせず「自分を師」としていた事にもなるんじゃないでしょうか?

また 曼荼羅に書かれている図式や内証が正しいものだと判断していたのなら
その作者こそが 日蓮よりも上の師匠となってしまい
同時に 日蓮の教えや智慧 そのものが 全てに於いて迹門に変貌してしまう訳で 
その作者こそ 日蓮よりも上の 本仏の立場・・と言う事にもなってしまい
この時点で 日蓮の立場も 単なる上行菩薩にしか過ぎず
ここでも 身延の方が正しかった・・と言う証明にもなってしまいますが
あれれ? 日蓮本仏論は何処へ行ったんですか??
結局「日蓮直結の信心」だとか「大聖人時代の信心」・・と唄っておきながら
創価自ら「日蓮本仏」を否定している形にもなっているじゃないですか!!

また・・・
  ※日蓮は御本尊を一度も顕さなかった。
  ※弘安2年の御本尊が創作もの

・・・だとするならば、創価のみなさまは 
何の為に「日蓮の本意とはかけ離れた後付け御本尊」を仏壇に飾って
毎日 ナンミョーをしているのでしょうか?

また・・・
  ※日蓮は御本尊を一度も顕さなかった。
  ※弘安2年の御本尊が創作もの

・・・だとするならば 当然 日蓮の本意とはかけ離れた
「後付けバイアスの混じった 我見の御本尊」なのですから効き目も無く 捨てる事も出来るし
また 創価学会員さんの体験談も 結局は大ウソにもなってしまいます。

それでなくても 創価版による御書の文献でも(厳密には大石寺の堀日亨上人が編纂したものをですが)
御真筆が少なく 更に 疑似相関ばかり並べた後付けの文献や 碌外の代物 
中には 池上や北山から持ってきた文献によって教義が決められていて 
更に輪を掛けるか・・のように 拠り所にしていた筈の大石寺の教義や歴史までもが
まったくの『でたらめ』だったわけですから 尚更の話
完全に支離滅裂で いつの間にか 何処の仏を拝んで ナモナモしているんだか 
本当に訳が解らなくなってしまい 不信の元にもなってしまいます。

また飛躍的な考え方をする人も居る筈で 当然 連想性の創出による作用によって
会長本仏論や人本仏迹論などが 出ても不思議ではありません。

そういえば ネット同志の情報だけなので何とも言えないのですが
河内平野さんも その昔は 福島源次郎さんと同じ狢の会長本仏論者だったようですね~

ともかく 日蓮は御本尊を一度も顕さなかった上、御本尊がパッチワークだと言うのであれば
結局「日蓮は言い残した事があった」・・と言う事が証明されてしまうため
戸田城聖の述べていた指導も「妄想」だった・・と言う事にもなってしまい
結果的には 日蓮大聖人どころか、戸田先生や池田先生にも弓を引く形にもなってしまうわけですが
それでも あなたは池田大作の弟子だ・・と 御本尊の前で言い切れるんでしょうか?



追記:2014年2月6日

そういえば、2ちゃんねるで論議していく中に気づいた事なのですが
創価の河内平野さんは 菊川さんに対して
富士宮ボーイの掲示板と 内容をまるまる転載した楠板の創価系ブログに於いて
  「御書」と言うものは身で読むものだ!・・・と説教をしていましたが
富士宮ボーイでの一連のログを伺っていたら 河内平野さん自身も
身でまったく読んでいない事が一発で解り、人の事が言える立場ではなかったわけです。

では もう一度、堀上人が編纂した御書の106箇抄の全文と
富士要集に書かれていた106箇抄の全文を読み比べてみましょう
単純に読んだだけでも『あれ?何故?そんな編纂の仕方をしたの?』・・と言う事が解ります。

そうなんです。堀上人が編纂した御書(創価学会版の御書)では
106箇抄に於いて 全文を載せていないんです。


その点は、堀上人は編纂するさい 御本尊の取扱いの部分で
トラップ(罠)問題が しっかり提示していたようで
その事も しっかり日興上人詳伝に於いて 理由が書かれていた記憶があります。

だからなのか?富士要集から御書に入った人と創価版の御書から入った人の認識では
考え方や信用性に於いて180度違う見解を出してしまう人も居る筈です。




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Last updated  2015年05月31日 23時50分42秒
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