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2015年04月16日
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カテゴリ:信心出来レース
23899840.png

※真実を語る⇒http://tomotiyoo.exblog.jp/23899840/より



あれ!? 創価学会は 確か、2014年(平成26年)11月8日の教義改定によって
弘安2年10月12日に顕された大御本尊と決別し 
そして 阿部日氏や大河氏を始めとした創価信者のほとんどが その改定を支持し
すっきりしたハート」等と、述べておりませんでしたか?

・・・にも関わらず この指導によれば
「大御本尊に書かれていた内容を基礎にして祈り 御書を理解しろ」・・と指導をしていて
この時点で いきなり 点と線が合わなくなっているわけです

まず ここを確認しましょう

では?その池田先生が述べられていた「大御本尊」とは
何を指した上で述べられていた「大御本尊」だったのでしょうか?


ちなみに 「創価ダメだしブログ」でも ちらっと触れましたが 
「決別をする」という形容は 「縁を切る場合などに宣言する意味」もあり
従って、縁を切ったわけですから 
それは「弘安の御本尊を捨てた」という解釈にも繋がるわけです

従って「捨てた」と言う解釈ではない。 ・・とするならば 
どんな意味が込めて「決別する」と宣言したのか?
合理的かつ点と線が繋がる整合性ある説明責任を果たさないと
たとえ 弘安2年10月12日の御本尊を信じていた・としても 
世間に対しては それは「捨てた」と宣言しているようにしか映らず
ここでも創価学会自身が『誤解を与えた誤ったメッセージ』を流した事にもなり
依って 原田会長の今回の発言は、無責任かつ軽率な一面も否めません。

更に あべひさんが示した その指導というのは 何時頃「述べられたもの」でしょうか?
少なくとも 2010年の6月以降は 本人が現れていないわけですから
当然 改定前の指導なわけで
従って 弘安2年10月12日に顕された大御本尊の事を指して述べているわけで
今回の改定で決別(縁を切る)した以上 はしごを外して捨てた形にもなってしまうのに
何故、そんな迹門的な要素を持つ指導を用いて 同じ創価さん宛に示し説得をしているのか
ここでも 点と線が繋がらないので 結局 私には理解ができません

ちなみに、上記のログにて 
阿部日ケ~ン(院政)[略称:あべひ]氏がお説教をしていた相手は
同じ創価学会の信者です。

そのことを踏まえた上で もう一度述べますが 池田先生が指してのべていた 
久遠元初の御当体で事の一念三千でもある 人法一箇一閻浮大総与の大御本尊は 
何を指した大御本尊だったのでしょうか?


ちなみに 戸田先生の指導や池田先生の指導を含めて考察すると
個人的には 大御本尊の存在価値は 相当 優れた羅針盤や気象観測レーダー 
あるいは 優れた計器類と一緒の役割も果たしているもの・・と考えられます

それは 先の指導や時代背景を考慮しても 池田大作保険でお墨つきでしょう

ところが あべひ師曰く 弘安の御本尊は「後づけバイアスの要素」が強く
まったく信用していない・・とおっしゃっており 
では?その日蓮大聖人が顕された 大御本尊は?・・というと
「現在は行方不明」などという珍説や見解を 黄色い掲示板にて迷言を残していますね~

そうなってくると 日蓮系は 立正佼成会も含め 
どの系統でも 羅針盤がない状態のまま 700年もの間信仰を続けてしまった事にもなり
日蓮そのものの信仰性自体が 怪しくも なってしまいます。

その上 先に あなたが示した池田氏の指導によって
現在 行方不明にもなっている「観心要の大御本尊」を基礎にしなければいけない以上
祈りも 法も成立しないわけですから 従って「行方不明」であるが故に 
「基礎に対し皆目見当もつかない大御本尊に祈れ!」等・・・という お説教を垂れても  
現状では元から羅針盤がないため 余計に迷うわ 己心や我見が膨らむわ 
あまりにも「ちぐはぐ」な状態が続いて いつかは大事故へと繋がりそうで 
それは あまりにも無責任な態度で、ここでも点と線が結びつきません。 


さて ここからは、「創価ダメ出しブログ」 
及び その大御本尊の話とも話の関係が絡んでくるので 大河さんにも申し上げますが 
池田先生の信仰は 人間革命を読んでも 指導集を読んでも
明らかに「弘安2年の大御本尊」を「師(基礎)」にして指導をしている文献が多数あり
その基礎に従って信仰していることが判りますよね

従って 池田先生が述べられていた 久遠の法・・というのは 
弘安2年の御本尊の模式を基礎にして述べられていた久遠の法であり
間違っても 大河さんが「創価ダメだし」にて述べられていた 
久遠元初=一篇曼荼羅は『浅はかな見識』か『勘違い』かと思われます。

また「御書の世界」ばかりが「池田先生の全て」とは限りません。

更に 私たちの信力・行力で、御本尊の「仏力・法力」を
私たちの「内」から開き出す為の、つまり、衆生の仏界の生命を開くためには 
「その観心の大御本尊に祈らないといけない」わけですが 
では あなたが指す「勧心の大御本尊」という羅針盤や計器は どれをみたら安全なのでしょうか?

当然 羅針盤や計器類がなければ 迷路にハマったり 事故が起きますよね
しかし「精度の高い計器類」や「羅針盤」であれば、安全性も高くなりませんか?
 
・・・にも関わらず その肝心な その羅針盤や計器がいらない 
あるいは 羅針盤や計器類は どれも同じ・・と主張していたのが 
大河さんと あべひさん等の主張でしたよね
では計器や羅針盤がない場合 どうやったら道に迷わず 事故が防げるのでしょうか
また 安全上 優れた計器が必要ならば 一体 どの計器類が優れていると考えられますか?

まさかとは思うけれど 今更ながら 沖浦さんと同じような
「自己本尊論」を展開するつもりはないよな

いくら沖浦さんが「マンダラが迹」「自分が本」と述べていて
「己心の妙法」を展開し 自分らは違うなどと詭弁を並べて差別化を図っていたとしても
曼荼羅御本尊そのものを知らないで、ナンミョーをしていたSGIメンバーを引き合いに出して
大御本尊という観心の羅針盤がなくとも 
私たちは久遠元初の当体の一部にしか過ぎないわけだから
「内」から開き出すことが可能なわけで 従って 衆生の仏界の生命を開くことができる
・・・というのが 大河さんや あべひさん等の主張なわけですから
結局は「自己本尊論」へと行き着いてしまう事も否めず
その点では 沖浦さんの主張と大して変わらないか・・・と思われるるのですが
どういうわけか 奴らは「沖浦さんの信心とは違うんだよ eco君」などと言い張り
同じ性能の計器類なのに わざわざ 己の計器類との差をプレゼンしてきて
ここでも 点と線が結びつかない主張を展開してくるわけです


そういえば その羅針盤や計器類で思い出しましたが 
あなたたちの場合 曼荼羅御本尊そのものを知らないで、ナンミョーをしていた
SGIメンバーと大して変わらない 内得信仰をしている 太ちゃんの信心に対し
いろいろと杓子定規をあてて難癖をつけたり「本来の信仰はこうだ」と言わんばかりの
モラルハラスメントをしかけていましたよね

あまりにも滑稽じゃないですか? 
ここでも「筋も通っていない二律背反ぶりの指導」が見事に展開されていたわけですが 
本人たちは まったく気づいていないようです。

曼荼羅御本尊そのものを知らないで、ナンミョーをしていたSGIメンバーに対し
太ちゃんと同じようなモラハラに近い指導ができますか 特にあべひさん
同じ「内得信仰者」の筈なのに 奴らの信仰に対する扱いに関する差別的な意識をもった態度は 
一体 何なんでしょうかね~

ここでも点と線がぷっつりと切れています。




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おまけ

そういえば 沖浦さんの事を引き合いに出し 大河さん御自身のブログにて 
「曼荼羅御本尊の相貌を「本・迹」にたて分けることはできる」・・と述べていましたね

その通りですが しかし 「御本尊はどれも同じだ」という見識と矛盾していませんか
更に あなたの発言によって 創価は「本迹の縦分けができなかった事」を見事に証明し
支離滅裂な事を述べていたり その場しのぎの詭弁を振りまいていたことを 
見事に吐露し 自白してしまったわけです

ちなみに 佐渡始顕と弘安の御本尊の模式や意味を考えれば 
佐渡始顕は「迹」で 弘安の御本尊が「本」であって 
間違っても 一篇曼荼羅は「迹」の部類にしか過ぎず「本」にはなりません
あくまでも三大秘宝の祈りがなければ意味がありません

また例の記事は 単なる擬似相関性の強い「悪魔の証明」程度の説得力しかなく
それは「占い師」レベルのものです。





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Last updated  2015年05月31日 23時29分49秒
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