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なめこ先生の我ら食べ鉄道中記

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2021.10.02
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カテゴリ:定期列車


先日の京阪の減量ダイヤ改正の記事ですが、1日のアクセス数が本ブログ初めて500を突破するなど大きな反響を呼びました。本日は2200系と並んで休車となっている日本でも随一の最古参形式である2600系はどんな形式なのか、その経歴を辿っていきたいと思います。昨日は上越新幹線のE4定期運転終了で持ちきりでありましたように、今年は歴史を彩ってきた車両の引退が目立っています。


2600系は元々、2000系スーパーカーとして誕生した車両で、1959年に全電動車の高加減速車として100両が当時の川崎車輛とナニワ工機(現在のアルナ車両)で製造されました。その異名の如く、高い性能を活かして各駅停車や区間急行に主に用いられ、通勤車のスピードアップに貢献しています。加速度4.0km/h、減速度4.5km/hと阪神のジェットカーや近鉄のラビットカーなどと並んで国鉄車を凌駕する高性能車の代表格として知られるようになったのも程なくしてのことだったのです。1960年代中盤には2200系3両を編入して総勢103両の陣容となり、その後は付随車の導入なども行われました。


しかしながら沿線の人口が爆発的に増加し、輸送力増強が喫緊の課題となってきたことから、長らく600Vであった架線電圧の昇圧が具体化し、昇圧対応や冷房改造を施す必要が出てきたため、1978年以降は車体を活用する形で全車が2600系0番台としてリニューアルされたのです。

また、0番台と並行して1983年の1500V昇圧前となる1981年には完全新製車の30番台が7両4編成28両が増備され、0番台と合わせて131両となり当時の最大形式として幅を利かせることになり、昇圧後は主力として使われました。改造の際は冷房設置だけでなく機器類も全面的に更新され、抵抗制御から複巻電動機を使った界磁位相制御に変更されています。これにより加速度は4.0km/hから2.5km/hへとダウンしましたが、必要上十分な性能と経済性、回生ブレーキを利用した省エネ性が確保されました。機器構成の基本的なコンセプトついては、その後の6000系や8000系にも引き継がれています。

2600系は2両ないし3両のユニット(30番台は3両と4両のユニット)で編成を組んでいることから、増解結など車両の組み換えが容易で、4両から8両まで幅広い編成を組むことが可能な設計になっています。そのため、運用は主に各駅停車や区間急行が中心だったものの、7両や8両運用にも入って準急や急行にも使われるなど、110km/h走行にも対応できる性能を有しています。今年の緊急事態宣言による間引きダイヤが適用された5月には特急運用にも入り、8000系や2代目3000系にも伍する走りっぷりを見せたのは記憶に新しいところです。

車両数が多かったことから本線だけでなく宇治線や交野線といった支線でも主力として長らく君臨し続け、交野線では朝ラッシュ時の本線に入る特急「おりひめ」や夕方の私市直通準急「ひこぼし」、臨時快速や臨時急行でも活躍した他、中之島線開業後しばらくは快速急行や通勤快急でも見ることが出来ました。一方の宇治線でも臨時急行や宇治快速、三条始発の定期急行に充てられるなど、支線直通の優等列車には高い頻度で2600系が使われてきたのです(宇治線では6両で急行にも使われたことがある)。

0番台は旧2000系の車体や台車をそのまま引き継いでいるため、個性的な特徴が多い車両でもありました。車体は卵型断面の軽量モノコック車体が採用されていて、これは1981年の30番台増備車まで20年以上に渡り京阪の通勤車の標準車体として長らく親しまれています(その後、1985年に2200系の8両化に伴い付随車が5両製造されたが、こちらは既に廃車済み)。旧2000系の初期車は側窓が横長でありましたが、中期車以降は側窓が縦長になり軽快な印象が増しています。尚、改造は初期車、中期車、後期車がランダムで行われているので、窓割の違いを確認できる編成もありファンにとっては興味深い点であったりします。台車のバリエーションも豊富で、汽車会社(現在の川崎車両)のシンドラー台車やエコノミカル台車、住友金属(現在の日本製鉄)のアルストームリンク台車や側梁緩衝ゴム式ペデスタル台車など、空気バネの形状や軸バネの違いなど細かい差異が多く、技術的な面でもエンジニアにとっては教材になる形式でありました。一部の台車は板バネを使ったSUミンデンや軸梁式など、老朽化したエコノミカル台車から換装されているものもあり、乗り心地の面で新型車両と大差ないものも存在するなど、より複雑な変遷を辿ることになった車両も存在します。

京阪は技術陣の整備力が優れていることもあり、JR以上に車両を長持ちさせて走らせる傾向があります。これについては大津線を含め、戦前由来の車両や機器を昇圧直前まで使っていたぐらいでありますから、そのメンテナンス力の高さは折り紙付きです。しかしながら2000系の製造から40年以上が経過し車体の老朽化が目立ってきたことから2001年、交野線専用車だった編成からついに廃車が出始めます。加えて翌年には10000系が登場すると、これを置き換える形で4両編成の数編成が廃車になるなど車両の交替が本格的に進んでいきました。さらに2008年の中之島線開業後は2代目3000系や13000系による置き換えが進行し、廃車のペースが上がっていきますが、中之島線の営業成績が思っていたより良くなかったことから、廃車は一旦中断となり、車体色を塗り替えて活躍を続けてきたのです。直近では0番台が21両残り、7両3編成に組み替えられて主に各駅停車や準急で運用されてきた他、快速急行や通勤快急など優等列車運用にも入って稼働してきました。だが、13000系の追加増備に伴って久々に運用離脱が発生し、減量ダイヤ適用前の8月時点で残っているのは2編成僅か14両のみとなっていたのです。

そして今回の減量ダイヤ。残っていた14両は製造から62年と極限に近い状態になっていることから休車となりました。日中の運用は主にVVVF車を中心に組み替えられて、電気代を含めたランニングコストやメンテナンスコストの削減が図られる見込みとなっています。現時点では休車の編成についての処遇は公式な発表が出ていないのですが、おそらくは廃車の公算が高いと見込まれます。

当初は6月に予定されていた5000系の引退が9月に延期となったため、話題的には5000系の陰に隠れるような形になっていましたが、その日は来てしまったのです。2600系は30番台が当面存続をするので完全な形式消滅にはならないことから、特別なイベントは行われないのではないかと推察します。ただ、運用を離脱した4両については寝屋川車庫で教材車として残ったことから、在りし日を偲ぶことは出来そうです。来年の10月に一般公開が再開したら、最大の目玉にはなるでしょうね。また、1両が関西テレビに程近い扇町のキッズプラザ大阪に車体の一部が保存されているので、こちらにも足を運ばれてもよいかと思います。

京阪の通勤車の近代化に貢献した車両であるだけに、その記憶はファンだけでなく多くの方にとって今後も残っていくでしょう。






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最終更新日  2021.10.02 23:39:17
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