|
カテゴリ:行動心理学
正常性の偏見
先日発生したパチンコ店への放火事件や多発する通り魔事件。 そのとき、その場に居合わせた人は異様な空気を感じながら逃げることもせず、逆に一瞬その場に呆然と立ちすくんでしまうと言う。
韓国の地下鉄火事で多数の死者が出た事件では、車内の防犯カメラ映像を後に確認したところ、そこに写っていたのは異様な映像であった。 電車が急停車し車内には煙が立ち込め、窓の外には火の手が上がっているにも関わらず誰も逃げようとせず座ったままなのだ。
また、ハワイで起きた火山の噴火では、そこまで溶岩が迫っているのに、逃げるどころか屋根に上って呆然と見ているだけ。 結局、上記のカメラに写っていた人たちは亡くなってしまいました。
さて、これらの異常事態のとき多くの人達は何故逃げずに、その場に呆然と居続けるのでしょうか? これには人間にしか備わっていない、ある種の興味深く当に恐ろしい心理が働いています。 これが、「正常性の偏見」という人間の持つ「行動心理」です。
「正常性の偏見」とは、一定の危険度を超えた異常事態が間近に起きると、能が混乱しパニック行動を起こすのを抑えようとして、その結果異常事態を「正常な状況である」と誤認識してしまうのです。 つまり、「自分がもしかして死ぬかもしれない」という状況を無視することで、心を落ち着かせて恐怖感から開放し我が身に迫っている状況とは裏腹にリラックス状態にしてしまっているのです。 また、この心理状態のときは脳内ホルモンであるドーパミンが多量に分泌されています、従って恐怖感や不安は無く心地良いとさえ思ってしまうのです。
しかし、この心理の持つ本当の怖さは範囲は小さいが日常的に起きているということなのです。 収拾がつかないほどの大きなミスをする、自分に解決できないほどの大きな責任が降りかかる。
それを異常事態だと認められずに能が勝手に「何事も無かった」と認識してしまう人が実際に居るのです、そして自身を守る為に「自分は悪くない」と誤認識してしまいます。 精神力が弱い人は特にこの傾向が強いと言う。
本人が認識できないうちに周囲を振り回し多大な迷惑をかけた上に、更に他人を知らないうちに傷つけていることもあるのです。 正常な人であれば平気な心境ではいられないでしょう、それがこの「正常性の偏見」という行動心理は「自分は正しいことをしている」と認識し、「それを認めない周囲が悪い」と更に身勝手な常識では考えられない行動を行ってしまうのです、しかも楽しささえ覚えて。
これを気づかせるのは他人ではリスクが伴います、長い時間を掛けて自分自身で再認識するしか無いのです。 しかし時が経つと共に冷静さを取戻し、自分の行っていたことが正常に認識できたとき、その人がその時にどのような心理状態になってしまうのかは事前には知る術がありません。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.08.13 18:25:02
|