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NANA ARIA HOUSE

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十二人の怒れる男 フガー

十二人の怒れる男を授業中に観賞し、授業で学んだ事を織り交ぜながら感想等を書く。まず、この映画を見て簡単に物語を要約すると、陪審員として集まった12人の男達が、父親を殺した少年を無罪か有罪かで議論することになるのだが、最初一人の男を除きほぼ全員が有罪を支持していたが、無罪を主張した男が次々と証拠や証言等の疑わしい点を指摘し、次々と無罪へと意見を変え、最終的には全員が無罪を主張し、全陪審員が一致したことによって映画が終わるといった内容になっている。最初は圧倒的に無罪側の人間が不利で、少年の素行や経歴から見ても、有罪で間違い無いとまで言われていた状況で、一人の男が無罪側に付き、議論は発展していく。ここが物語の起から承へ移る部分で、12人の個性豊かな人間図が描かれつつも、証言や証拠の穴を見つける等、物語の展開がされていっている。陪審員に選ばれた方は、冷静な人や自己中心的な人、激情的な人など、様々な個性をもった方が集まり、最初に無罪を主張した方が疑問に思った事等を推理して、有罪として認められないと感じ無罪へと意見を変えるという、人の心理や、専門的な分野からしか判らないような事まで意見は延びていった。中でも、殺害された方の叫び声を聞いたという老人の証言の部分は、不確定要素があるというのに、何故か納得する人がいた、反対する人もいたが、これはあまりにも証拠として成り立たないと思った。途中、過激な抗争があったが、陪審員の意見が全員一致することが求められるので、途中ナイターがあって早く帰りたいだの、無罪であることが馬鹿馬鹿しいと言い、怒鳴り散らすシーンもあった。この部分は、人間のリアルな感情を描写していて、好きな場面の一つである。12人の中でも、最初に無罪を唱えた男と、老人はキーパーソンであり、度々疑問を持ちかけては重要な議論をして、物語が展開していく。ここまでで、転の部分が大幅に入り、物語が加速していく。終盤に、11人が無罪を唱え、息子が家出した男が最後に有罪側に残り、心では少年は無罪だと分かりつつも、自分を裏切って家出した息子と少年が重なり、どうしても少年が許せないという矛盾した考えを持ち、最後には「Not guilty」と少年の無罪を認めた。この部分が一番の見せ所だと思う。起承転結の結であり、この男が息子の事を心配している事を認め、当初圧倒的多数だった有罪をひっくり返して無罪にまでもちこんだ。これによって少年は、第1級殺人罪として死刑にならず、再度審議をやり直すという形になった。さて、2009年に我が国でも裁判員制度という刑事事件の重大な裁判の裁判員となる制度が始まるが、これは英米法の陪審制を手本として作られている。日本の法(大陸法)と英米法の違いは、日本が成文法主義なのに対して、英米法は判例法主義を取っているところにある。成文法とは憲法など文章で書かれたものの事で、裁判の判決を条文で決める事で、判例法とは、過去の似たような判例と照らし合わせ、判決とすることである。また、陪審員は、有罪無罪は決めるが、刑罰等は裁判官が決めることになっているが、裁判員は有罪無罪を決めるだけでなく、刑罰も議論の対象となっている。裁判員も陪審員も、一長一短だが、世界的に見ると裁判員の方が多いようだ。判例を取り扱う陪審制で、有名な判例法体系としてコモンローとエクイティがある。コモンローは国王裁判所という意味で、エクイティとは大法官という意味である。英米法は最古の法とされるマグナカルタという大憲章が現在でも効力を持っている。マグナカルタとは1215年に制定された、現行のイギリスで最も古いとされている法で、フランスに兵を出すも敗北し、再度戦いを仕掛けて敗戦したジョン国王の王権伸張策を不満としたバロン率いるロンドン市民が反抗し、国王との間に締結した文書の事をいい、中世の社会構造を温存するための文書である。しかし、教皇によって9週間で無効と宣言され、その後国王に有利なように修正された。16世紀に入り、絶対王政の成立とともにマグナカルタの重要性は減少したが、17世紀にはスチュアート朝にて国王と国会が対立する。この時にマグナカルタを議会の主張として「自由人は彼の同輩による合法的裁判または国土の法によるのでなければ、逮捕若しくは監禁され、その自由保有地、自由もしくは自由なる慣習を奪われ、海外放置もしくは追放され、またはその他の方法によって侵害されない」と読み直したのがエドワードクックである。つまりは、生命、人体、財産は、国土の法か合法的裁判でなければ侵害されないと解釈した。これがアメリカの憲法へとつながり、アメリカ憲法修正14条にいかなる州も、デュープロセスオブローによることなしに、人から生命、自由もしくは財産を剥奪してはならないとされ、20世紀初頭の財産権の絶対性、その後のプライバシー権、自己決定権へと展開していく。こうして、イギリスのマグナカルタがアメリカの憲法に大きな影響を与え、英米法の歴史が作られていった。これにてレポートの内容とする。


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