1250025 ランダム
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明治の町家   姫路の春霜堂  

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エジソン式蝋管蓄音機

「発明王」と呼ばれたトーマス・アルバ・エジソン(1847-1931)は、生涯に1000を越える特許を取得しているのだが、中でも蓄音機は、彼自身が最も感動した発明品だといわれているそうだ。

春霜堂に展示しているのは、<エジソン・スタンダートA型 1901年 アメリカ>という蓄音機で 2分ワックスシリンダー用で機械のベースはケース上部の木部に取り付けられ、ヒンジによって開閉できるようになっている。オーク材のケース正面には“エジソン・スタンダード・フォノグラフ”と書かれています。

春霜堂では約10曲の100年前の、蝋管レコードを聴くことが出来ます。

エジソンは国内の市場同様に、海外の市場が重要であと熟知し、標的とする海外市場の政治的・文化的な中心人物との関わりを大切にした。中でも日本は重要視し、自分の作った電灯システムを近代化の激しい日本で標準化することをめざした。そして、足がかりを作るために、天皇に集中電灯システムを送りさえした。皇居があかあかと電灯に照らされるのを一般大衆が見るならば、自分の家にも同じものをと思うだろうと予測したのであった。

また、エジソンは自分の開発した蓄音機や蓄音機レコードの宣伝にも熱心で、天皇に蓄音機を献上したほか、横浜のフレーザー商会を日本の代理店として蓄音機の宣伝販売に努めた。日本人の慣れ親しんだ歌曲、「君が代」などの曲を日本で人気の歌手に歌わせて蓄音機レコードに収めることまでした。どのような歌が人気があったかはリスト化され、蓄音機販売業界に向けたエジソンの雑誌 Edison Phonograph Monthlyに掲載されていた。

さらに日本で事業を拡張するため、エジソンは日本からの通商団がやってくると喜んでウェストオレンジの研究所を案内してまわった。個人的に海外の重要人物と親交を深めておけば、それぞれ祖国でビジネス展開に協力してくれるだろうとの読みがあったからであった。1909年10月27日の渋沢栄一の率いた通商団は、エジソンに敬意を表し、ひとりひとりがエジソンに対し、日本を訪れるならば必ずや自分の家を訪問するようにと言い残したのであった。このような善意の外交は20世紀前半の国際貿易に欠かせない要素でもあった。

天才とは1%の霊感と 99%の発汗なり。
もっとうまくやれる方法があるはずだ それを探し出せ
人間の最大の弱点は、諦めてしまうことである BY トーマス・エジソン


エジソン式蝋管蓄音機

なお、この蓄音機は読売新聞の播磨版でも紹介されました。

http://www.doblog.com/weblog/myblog/5964/334409#334409


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