なななかばといっしょ

2009/12/05(土)08:47

斎藤耕一監督の通夜

昨日は、斎藤監督の通夜だった。朝から冷たい雨が降っていたが、夕方には小ぶりになったのでよかった。さすがに交際の広かった監督だけあって、たくさんの俳優さんからの生花が並んでいた。弔問客も多かった。「約束」のショーケンの名前もあったが、「旅の重さ」の高橋洋子と「再会」の野口五郎が来たので、久しぶりに話ができてうれしかった。キャメラマンの坂本典隆さんと一緒に、昔話に花が咲いた。     お葬式は、故人の追悼もさることながら、故人を通して出会った人たちと旧交を暖めるという場でもある。それが故人にとっていっそうの追悼になるのではないか。       高橋洋子とは、「旅の重さ」のオーディションの時の話で盛り上がった。彼女は、実は審査に遅れて来たのがさいわいしたのだった。ナンバー2番だったのに、いつまでたっても現われず、もう終わりかという時になって慌てて駆け込んできた。その姿がとてもよくて、高得点を得た。最後は秋吉久美子との決戦となったが、この映画には彼女の方が似合っているということで受かったのだった。こういう審査は、普通はプロデューサーや宣伝部だけで行われるのだが、この時は監督の意向が強く働いてメインスタッフも審査に加わった。助監督はチーフのYさんとセカンドのぼくが参加した。もちろん、こんなことは生れて初めてだったので、心ときめかせて審査に臨んだのだ。この頃は、斎藤さんはぼくを一番信頼してくれていたので、かなりぼくの意見が斎藤さんの気持ちを左右したと思う。        その後、彼女は、「サンダカン八番娼館・望郷」(監督・熊井啓)や「田園に死す」(監督・寺山修司)に出演したが、小説「雨が好き」を書いて中央公論新人賞を授賞し、自ら監督・主演で映画にした(83年)。才人であった。     野口五郎は、「再会」と「季節風」で一緒になった。ことに「再会」(75)は、ぼくの最初の脚本(斎藤さんと共同)だったので、思いは深い。当時、野口五郎・西城秀樹・郷ひろみは新御三家といわれたトップアイドルだった。ぼくは三人の映画の助監督をやったが、一番スタッフとうちとけたのが五郎だった。Nというマネージャーがよくできた人でもあり、打ち上げでスタッフと野球をやった。ぼくはキャッチャーだったが、五郎のキャッチャーフライを捕ってしまい、ファンにブーイングされたのだった。彼のファンは一番素直で、「再会」の横浜山下公園でロケしたとき、これから先は盗み撮りで行くのでついてこないで、とファンの代表格の女の子に頼むと、分かったといっておとなしく待っていてくれ、撮影が終わって戻ると、「お帰りなさい」と迎えてくれた。五郎ちゃんに迷惑をかけてはいけない、というのがファンの決まりだったのだ。その2年後、「季節風」という映画を撮った。大竹しのぶとのラブストーリーで、八戸にロケしたのだが、二人とも初々しいカップルだった。このまま現実の世界でもカップルになってしまうのかと思うくらい、息があっていた。          その五郎も、来年でデビュー40周年を迎えるという。当時から一番歌はうまいといわれていた。決して華やかではないが、いつまでも元気に活躍してほしい。斎藤さんとの思い出は、つきないものがある。チーフをやった作品について、こまかく語っておきたいことがあるが、それはまたいつかということで。   

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