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カテゴリ:なな猫のあれこれ読書日記
忙しい忙しいにかまけて
日記やトップページの更新も留守がちな毎日。 でも、なにも大上段に構える必要はないんですよね。 公開だけど、自分の日記なわけだし。 というわけでこころを入れ替え、 できるだけこれからは更新していこうと、心に誓ったなな猫であります。 昨日で終わった、恒例の神保町古書まつり。 日曜と昨日と、オヤジと一緒に2回ばかり覗いたのですが どうも神保町の古本祭りは高い! ・・気がする。 こないだ行った、早稲田の古本祭りのほうが安かったな比較的。 それに、日本中から古本好きが集まるのでしょうか、 あまりの人、人、人で、ぴょんぴょんしてもあまり本が見えない。 うちの八甲田オヤジみたいな世代から上のオヤジたちも多いので なんとなくオヤジ臭が漂ってるし(失礼)。 それでも、つい買ってしまった数冊の中の1冊は 杉山平一著『詩への接近』。 晩年の立原道造が、新しい詩の雑誌『午前』を出そうとしていたとき この杉山平一氏も呼んだとなにかで読んでいたので 立原つながりで買ってみたのですが 読んでみると、立原道造の部分以外も、とても面白かった。 『夜学生』という詩集を出されているそうなのですが そのなかの一篇、「橋の上」という詩が揚げられていて 橋の上 橋の上に立って 深い深い谷川を見おろす 何かおとしてみたくなる 小石を蹴ると スーッと 小さくなって行って 小さな波紋をえがいて ゴボンと音がきこえてくる 繋がった…… そんな気持ちで吻とする 人間は孤独だから。 この最後の一行が不要であると、他の詩人にも指摘されながら 作者としては、この一行がいいたくて書いたようなものであって 説明し尽くしてしまうことが自分の欠点であると 気づいてきたといいます。 しかも、著者が中学生新聞の詩の選をしていたとき この詩を盗作して送ってきた生徒がいて 自分の詩は子供向きなのではないかと思うようになる。 名詩集全集にも著者の詩集は載らず しかも少年少女向きの詩集にも採用されない 「自分の判り易さの間違い」。 「詩をつくることで、自分を作って行けると思ったが、 次第に自分がわかってくることはかなしいことだった。」 妙にこころに沁みる一文でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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