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テーマ:思い出(39)
カテゴリ:兄弟姉妹・家族
先月の写真ですが・・・
ブルル・・・ 昨日・今日と寒い。 昨夜は 関東甲信に降雪。 この街も かなりの風と雨だった。 今日も、小雨が霧のように降っている。 さて、 夏向きだった座布団カバーを 冬仕様に変えた。 この布はたまたま、100円ショップで見つけた。 フリース、60cm×80cm。 ちょっと歪んでるので、柄あわせに端を切り落とし ちょうどいい幅になった。 遊びに来た なのはが 「夏のインド綿で作ったのより、ずっと良いよ」 と、ほめてくれた。 ミシンがないので、手縫いである。 針と糸を持つと、 8月に亡くなった、母を思う。 針仕事を手ほどきしてくれた、母。 ******* 母が父に嫁したのは、私が4歳のころ。 (私は2歳前に生母を亡くした) その頃の写真を見ると 母は、太ってはいないが ふっくらと柔らかな顔立ちで、 かなりの美人である。 男の子とビー玉遊びもする活発な姉と違い 私は外遊びをせず、家にこもる子供だった。 針仕事をする母は、そんな私を傍において 糸の通し方、縫い方を教えてくれた。 初めて作ったのは人形のマフラーだった。 その赤い色、綿を入れた丸い形も、記憶に残っている。 当時一年保育だった幼稚園に、入る前。 その年齢の子に針を教えるのも 母の世代では当たり前のことだったのだろうか。 ・・・私は恐くて、出来なかった。 子供たちが学校で裁縫箱を買うまで さわって怪我をしないように 針箱は使うつど、子供が手の届かないところに仕舞っていた。 思い返せば、そのようにして 母から受けた躾や手わざが、いかに多かったことか。 それを私は 針仕事と同様、 自分の子供たちに ろくに伝えなかった・・・。 今にして 母の大きさと、自分の狭さに思い当たる。 後年、 母は多忙になり、苦労ばかりして、痩せた。 化粧もあまりせず 身の回りも質素だった。 もっと良い物買いなさいよ、と姉が言うと 母は、 瀬戸内ことばと関西弁をまぜこぜに 「お母ちゃんは貧乏じゃけえ」 「贅沢がでけへん性分やねんな」 などと答えて、笑っていた。 ふくよかな母を痩せさせてしまった苦労。 (その苦労の種の一つは 私だった) 母が産んだ弟や妹たちは もしかしたら 多忙になった母に 私の半分も、かまってもらえなかったのではないか。 ・・・・・ 記憶の糸が手繰られて あれこれのことを 思い出してゆくと 申し訳なくて 涙がわいてくる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年12月21日 21時09分17秒
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