Wikipediaによる定義
心的外傷後ストレス障害、または
PTSD (Post-traumatic stress disorder)とは、
危うく死ぬまたは重症を負うような出来事の後に起こる、心に加えられた衝撃的な傷が
元となる、様々なストレス障害を引き起こす疾患のことである
心的外傷後ストレス障害は、地震、洪水、火事のような災害、または事故、戦争といった
人災や、テロ、監禁、虐待などの犯罪など、多様な原因によって生じうる
うつ病 とは、気分障害の一種であり、抑うつ気分や不安・
焦燥、精神活動の低下、食欲低下、不眠症などを特徴とする精神疾患である
2004年12月26日という日は忘れられない
早めの仕事納め後、12月25日にタイのプーケット
へ
バケーションへと
旅立った
プーケットに到着したのは夜
9時を過ぎていたが
常夏の観光地にとって、夜9時はまだまだ夜も序の口の様子
とにかく暑いし疲れたしで、
前のビーチ通りで
乾杯
…何はともあれ今年もお疲れさまでした
てな具合
すっかり仕事からの解放感でぐっすりと休み、26日の朝は気分良く目覚める
8時ですでに太陽はギラギラ
と眩しげ
とにかく朝食だ
との一言で用意を始める
これだけの日差し、ホテル内にしても顔にだけは多少はUVケアを と
そんなとき、ベッドで夫が胸を押さえている
どした
「俺も歳かな、なんか揺れてる…」「はぁ
」
周りを見る… 確かに揺れてる、夫じゃなく部屋が
「地震だよ、コレ」「ほんとに揺れてるって」
その時は軽くそんな会話をしていた
気を取り直し、朝食をたっぷりといただき、
をゆっくり飲む
「ちょっとビーチまで行ってみよ
」と言われ
目の前のビーチへ キ・レ・イ but
日差しが
「ダメだわ
いったん部屋に戻って支度しよ」と
まだそこに居たそうな夫の手をとって、部屋に戻った
おそらく これが
生死の分かれ目
あと20分この場所を去るのが遅ければ今ここにはいない
部屋に戻るとちょっと休憩したくなりベッドにごろん
すると 聞こえてきたのだ
ゴーとジェット音のような…
「繁忙期だから飛行機が多いのかなぁ~」「え
空港遠かった…」
おかしいと思い、窓から外を見る
ビーチとホテルの間にはヤシの木が並んでいたのだが、
そのヤシの木から(という表現しかできない…)水があふれてる
水が持ち上がり、押し寄せている感じ
何が起こったのか見当がつかなかった
呆然と見ていると、どんどん水かさが増してきた
目の前のプールは、もうプールなのかわからなくなった
プールに面している1階部分のガラスが割れていき、電気系統がショートして火花が散る
そのあたりからだろうか、いたるところで悲鳴があがる
「
津波だ」
夫がようやく声を出した
そしてそれまで呆然としていた私達だったが、すぐ行動にでた
部屋を出て、高いところを目指す 目指すは
屋上
ホテルの従業員が誘導するなんてことは無かった
一目散に逃げたのが彼等 そして取り残される宿泊客
そのホテルはヨーロッパ系の人が多かった
従業員がいないものだから、アジア系の私に寄ってくる
「どうすればいいんだ」「俺はすぐにギリシャに帰りたい」,etc.
しらんがな と心の中で呟きつつ、これは津波だから、高いところへ避難しろと教える
屋上から見た海、沖合にいたヨットが岸まできていて、この後転覆
プールのあったところはこのありさま | |
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これは大変なことになったなという思いはあった
しかし現実問題 何もできなかった
電気も水道もやられたが、部屋は無事だったし、しょうがないので、寝た
夕方になりそれでもホテルからも何も言ってこない
腹も減った
フロントに行くと、水とキャンドルは用意されていた
ただし飯はない
ホテルからの正面玄関は海に面しているので使用不可
反対側の塀を壊して、出入りするようになっていた
とりあえず探索
するか と
ホテルから山側をみると電気
がついている
しばらく歩くと、1軒のスーパーが営業していた
奇跡的
ただ皆考えることは同じか すでにほぼ全ての食料は空
それでもビール、ツナ缶&マヨネーズをゲット
ホテルに戻り、キャンドルをバルコニーの手すりに20個くらい灯し
ビールとツナ缶のディナーと相成る次第
実はこの日は夫のお誕生日
ちょっとロマンチック
次の日からが大変だった
まずホテルが閉鎖
何とか開いているホテル
を探し移動
このあたりからだろうか、街中が死臭
なのだ
それと土埃で煙っているのだ
やることも無いので、毎日散歩していたもののとにかく匂いでやられた
ある日、また歩いていると「日本の方ですか
」と声をかけれられた
TV
取材だった 「そうですが…」「ではぜひインタビュー
を」となったが
「私は撮らないでください」とお断り 何故って
「あ、ばれたらまずい関係ですか
」って聞かれた、聞くか
「いえ、すっぴんなんで、TVに映る
のは嫌です」です という理由
回線も全てやられていたので、家族にも知らせられなかった
しかし彼らが携帯を貸してくれ、連絡が取れた それだけはThank you very much
私の実家は留守電ではあったが、メッセージを残せたのでまずは
しかし夫の実家は電波が届かないのか
それでもまあなんかこれで日本とつながった感じはした
毎日BBC
を観ていた
ヨーロッパの国はほとんど救援機
が来ていた
しかし日本は音沙汰なし 冷たいもんだ…
そんな時日本大使館から
夫の身元行方確認だった
実家に電話がかからなかったので、身元不明者扱いだったらしい
そのころ実家では、遺体確認のためプーケットへ行く手配まで外務省から指示があったらしい
帰りの日が待ち遠しかった
しかし10日間の予定で行っており、救援機も無かったため予定通り10日後にようやく…
JALは嫌いと常々言っていたが、バンコクからJALに乗った時は涙が出そうだった
結局10日間、死臭を嗅ぎ、まともな食事もしていなかったため、ボロボロだった
それでもとにかく日本に帰ってきた
次の日から出社し一見普段に戻った が何かがおかしかった
自分の気持ちが続かない… 眠れない… おかしい… ハイになる… 落ち込む…
そんなとき友達に言われた
「なんか変だよ、いつもと違うよ、メンタルクリニックに行ってみれば
」 と
次の朝 そんなもんかな、という軽い気持ちで紹介された病院へ電話をかけた
症状を伝えると、今からすぐに来てください と
また そんなもんかな と思い行った
待合室で、南の島のビーチ
の画像が流れていた 気持ち悪くなった…
個室に呼ばれ、2時間以上話を聞いてくれた
津波の話から、会社の話まで…
ドクターは聞き上手
ドクターの診断は 今回の津波でPTSDの症状が出ているのは間違いないけれど、
もっと深刻なのは過労状態の働き方から来るうつ状態の方が深刻だ と
それはどうなんだろ
というのが正直な感想だった
が、翌日からの出社不可・ドクターストップ
という診断書をもらうことに
当時働いていた会社はうつ病の人がわんさかおり、
そのドクターも何人も患者で抱えているそう
こっそり「この病院へ紹介されるとかあるんですか
」と聞かれたくらい
そんな事情もあり、会社の対応も慣れたもの
「勤続年数から計算すると最長12カ月有給で病欠がとれます」
とのことだった
それまで転職も間を開けずに働き詰めの20年弱…
そろそろちょっと休むか と思い 「では後のことよろしく…」で休暇に入った
とたん体調復活
最初こそ腐臭・死臭付きの夢を見ることがあったものの、
会社への憤懣などあっという間に消え失せた
ただ復職するかどうかは悩んだ
戻ればまた過酷な仕事条件… このまま続けて行くのか…
続けると言ってもいつまで続けれられるのか…
津波
がきっかけになったが、これらのことを考える良い機会になった
休んでいる間に、今の仕事を手伝いがてらやっていたこともあり
思い切って人生舵をきり直すことにした
うつ病だったのかどうかは今でもわからないが、津波という経験がきっかけで
人生良い方向に転換できた(のであろう)と思っている
追記:会社の同僚はスリランカでこの津波に遭遇、彼女だけホテルの部屋におり
3歳の子供とご主人はビーチにいたそうだ
子供はは溺死、ご主人は行方不明のままだそうだ
あの時、夫と別行動していたら… そう思うと…
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