あしたの風

2018/05/02(水)15:10

【オランダ旅行】コロッケ、フリット…食べ歩きも楽しいアムステルダム ~ベギン修道院 ~飾り窓 ~旧教会

ベルギー・オランダ・ルクセンブルグ(22)

Amsterdam posted by (C)nana アムステルダムの街散策 1300年頃にできたベギン会修道院の中庭には礼拝堂を中心にし 典型的なアムステルダムチックな家が並んでいます ・・・静寂 ベギン会は女子修道会ですが、入会誓約が課されず、個人財産の所有や脱会 結婚も可能で、いわば準修道会的存在だった会派 現在でも中庭を歩いていると、中世と変わらない静かな空気が流れています ベルギーが発祥みたいだけれど、オランダにもたくさんのフリット屋さんが フライドポテトオンリーのメニュ …ひっきりなしに立ち寄る客 で もちろん買ってみた んまっ こっちの人は、ケチャップやマヨ、その他もろもろ他種揃っているソースをたっぷり… シンプルに塩味で大満足 ムントタワーが見えてきました 17世紀までアムステルダムはシンゲル運河沿いに城壁が築かれていましたが その後城壁は取り払われたものの、この塔だけが残されたそうです ムントとは「貨幣、鋳貨する」の意味 1672年にフランスがアムステルダムを侵略した際 この塔を貨幣鋳造所として利用していた事に由来するそう …登れないのが残念 レンブラント広場はレンブラント・ファン・レインの生誕400周年を記念して造られた公園 彼の代表作の「夜警」をそのまま銅像で表現してある実物大の群像(全22体)があるんだけど 美術館と同様こっちも人だらけで、上手く写真が撮れないよぉ でも何となくイメージは伝わる …かしら オランダでは日本では見たことのない薄紫の木蓮が満開でした  ビューティフォー レンブラント・ファン・レインが1639年から20年間住んでいた家 現在、博物館・美術館になっています 『1606年に建てられた豪邸で、レンブラントは1639年に13,000ギルダーの大金で購入 「夜警」の注文を受けるなど当時経済的に絶頂期にあったが、1656年に破産 1658年には家は競売にかけられてしまった』んですって ググってみるとレンブラントは波乱万丈な人生だったみたい すんばらし過ぎるコロッケのベンディングマシン発見 コロッケパンの文化もあることに眼が点よ オランダのというか、世界最大の発明かもよん …半分真面目っす 後ろに人がいる半アナログなのが笑えるけど そのおかけで熱々ホカホカ~ 中はとろ~~りん 1.60ユーロの幸せを街で見かける度に 買いたくなる衝動を抑えるの大変だったわ 外見がきれいだった南教会には入れなかった  …プロテスタントの教会は意外に閉鎖的 な模様 元々は聖アントニウス門だったという ニューマルクト広場の中心にある計量所跡 1488年に造られたアムステルダムの城壁のひとつで、文化財建造物だけど… 現在はおされなカフェになってます かの有名な「飾り窓」地区に入っていたようで いつものようにパチパチ撮っていたら… 睨まれちゃった この地区はカメラ不可 …だけど、入ってたのに気が付かなかったんだもんさ 矢印の先はマネキンじゃないのよぉ 全て生身 …って生臭い話だわね 気がついたらそこかしこの周りの窓からも おねーさん達が誘ってるぅ えっワタクシ 飾り窓に囲まれている旧教会(トップ写真) …神父さんを誘惑から守ってあげてぇ プロテスタントの教会は有料のところが多くここも例外じゃなく… しかもクレジットカードのみってのに驚いちゃった 有料にしなきゃ、修復費用が捻出できないのかしら… 美大生の展示スペースとして貸し出されている状態 なもんだから ガランとした中はちょっと変わった展覧会状態 レンブラントの妻サスキアのお墓がありました プロテスタントの教会は質素な造りで美しいって思えないのが残念 ステンドグラスはたくさんはなかったけれど数枚はきれいだったかな まだまだ続く。。。 続きはこちら 6. ゆらゆらビルが傾いているアムステルダム ~聖ニコラス教会 2015年4月:オランダ・ベルギー・ルクセンブルグの旅トップに戻る 国内旅行記トップへ 海外旅行記トップへ ☆★ブログランキングに参加しています★☆ 今日もポチッと応援クリックしていただけますとブログを書く励みになります よろしくお願いします (別ウインドウで開きます) にほんブログ村 旅行・観光 ブログランキングへ メッセージは こちらからお願いします

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