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世界遺産に登録されている「エルサレムの旧市街とその城壁群」
けれどもエルサレムの帰属問題などのデリケートな問題や
周辺情勢の不安定さから、隣国のヨルダンによる申請という
変則的な手続きが認められ世界遺産に登録された翌年1982年に
危機遺産リストに加えられたという珍しい世界遺産
現在、最も長い期間危機遺産リストに登録され続けている物件だそう
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旧市街南側の東端にある糞門から中に入ります
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エルサレム旧市街はユダヤ教徒にとっての神殿の丘と嘆きの壁
キリスト教徒にとっての聖墳墓教会
ムスリムにとっての岩のドームとアル=アクサー・モスクなど
それぞれの宗教にとっての重要な遺跡があり聖地となっているところ
現在の旧市街は、ムスリム地区、キリスト教徒地区、ユダヤ教徒地区
とアルメニア人(キリスト教徒ですが…)地区に区画化されています
セキュリティチェックを受けユダヤ教徒地区へ
けど、シャバット(安息日)のため嘆きの壁の写真NGでした…
ユダヤ教の安息日は厳格で
エレベーターのボタンを押すのも労働とされちゃうんです
なもんで、この日のホテルのエレベーター1機は信者対応で
自動各駅停車運転 …間違って乗っちゃったら15階に行くのに
気が遠くなるほど時間かかります
バスもトラムも当然動いてないし… 徹底してます
が、信者じゃない観光客がカメラNGって何故なんでしょうね
話が逸れました…
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嘆きの壁以外は写真OK
シャバットだから正装でお祈りにきているのかしら?
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新約聖書の福音書の記述やキリスト教の伝承などから想定される
イエスの最後の歩み「ヴィア・ドロローサ」は「苦難の道)や
「悲しみの道」と訳されている約1kmの道のり
始発点第1留の総督ピラトの官邸(プラエトリウム)から
イエスは十字架を背負い刑場のあるゴルゴダの丘まで
の道のりを歩いたとされ、旧市街の入り組んだ路地中に
それぞれ重要なエピソードがある第9留までがあり
第10留からは聖墳墓教会内に入り
聖墳墓教会にあるイエスの墓の終着点第14留となっています
その足跡をたどることができます
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第1留はイエスがローマ総督であったビラト邸で
十字架刑の判決を受けたところ
十字軍の時代に建てられた「有罪判決の教会」
ドームの天井にはいばらの冠
ヨハネによる福音書による
『兵士たちは茨で冠を編んでイエスの頭に載せ…』
からのモチーフでしょうか
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第2留 有罪に定められ、鞭で打たれるた「鞭打ちの教会」
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自身が磔にされる十字架を背負うイエスが祭壇に
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第2留から第3留へ向かう路地は階段
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修道士に先導され木製の十字架を背負って歩く巡礼者に遭遇
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第3留 イエスが最初に倒れたとされるところ
13世紀以降に誕生した伝承に由来しており
福音書にはイエスが路上で倒れ込む描写はないそう
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中にも十字架を背負いながら倒れるイエスの姿
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1881年に建てられたアルメニア教会「苦悩の母マリア教会」
にある第4留は悲しむ母マリアと出会ったところ
けれどこのエピソードも福音書には記述されていないそう
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1874年に教会工事中に十字軍時代の教会跡が発掘され
さらに5世紀から6世紀にかけてのビザンチン時代と思われる
モザイク床も発見されたのだそう
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そのモザイクには北側に向けられた一対のサンダル
(もしくは素足)が描かれていたことが発見されました
『マリアが十字架を背負って通り過ぎる息子の姿を
耐え忍んだ場所の証として記念されている』とのことですが…
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どうなんでしょうね
サンダルはココ↓ここ
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第5留はキレネ人サイモン(シモン)が
イエスに代わり十字架を背負ったところ
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サイモンが誰であったかは分からないらしく
巡礼者のひとりであったのではないかという
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第6留はベロニカがイエスの顔を拭いたところ
…標識があるだけで何もありません
『伝承によれば、この場所にベロニカの住居があり
ベロニカはイエスの顔を拭うために布を持って家から出てきた。
このとき用いた布にイエスの顔が浮かび上がり
「ベロニカのベール」として後世に語り継がれることになった。』らしい…
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第7留はイエスが2度目に倒れたところ
ここにも何も残っていません
イエスの二度目の転倒にまつわる伝承は
この場所の傾斜が相対的に険しいことに由来しているのでは
とのこと
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第8留はイエスの苦難を見て嘆き悲しむエルサレムの婦人たちに
イエスが語りかけたところ
聖ハラランボス・ギリシャ正教会の壁に標識と
「勝利者イエス・キリスト」という言葉が刻まれた石があります
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第9留は三度目に倒れたところですが
これも福音書には記録されていないエピソードだそう
コプト正教会のエルサレム総主教座の置かれた聖アンソニー教会
その外壁を支える柱のひとつが第9留のシンボルになっています
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ここからデイル・アル=スルタン(エチオピア正教の修道会)を
通って聖墳墓教会の中庭に降りることができます
お祈りしてるんじゃなくてスマホ見てるよ
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ようやく聖墳墓教会に到着です
第10留は衣服を剥ぎ取られるところ
マタイによる福音書に剝ぎ取られたイエスの衣服は
ローマ兵がくじで分け合ったとされる逸話があります
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現在聖墳墓教会はカトリック教会、東方正教会、アルメニア教会
コプト正教会、シリア正教会の複数教派による共同管理になっています
狭い階段を上り2階に上がると…
第11留は聖墳墓教会十字架に釘付けされたところ
横倒しされた十字架の上に仰向けで寝かされ
ローマ兵によって両手首を釘で打たれ
両足を重ねて釘を打たれた…
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第12留はイエスが息を引き取ったところ
祭壇下部に十字架が立てられた穴があります
磔にされたイエスの十字架はこの穴に差し込まれたのです
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第13留は十字架から降ろされマリアが遺体を引き取ったところ
第11留と第12留の間にあるマリア像が飾られ祭壇
十字架から降ろされるイエスの遺体を受け止めたと伝承される
マリアの悲しみの像で、1778年にリスボンより寄進されたそうです
写真では第11留の左下に写っています
階下に降りると大きな壁画があります
右側にはイエスの十字架降架が描かれ(トップ写真)
中央には遺体受け取りの場面が描かれています
壁画の正面の「塗油の石」と呼ばれる石の上に
イエスの遺体が十字架から降ろされ横たえられ
埋葬処置を施されたというエピソードから
以前はここが第13留であったということです
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第14留はイエスの墓
聖墳墓教会内部のロトンダ(円形建築物)の中央にあり
アナスタシス(復活聖堂)とも呼ばれています
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イエスは復活したとされるので
この墓の中に遺体はないはず ですよね
お墓も絶賛修復中
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アナスタシスでもあるので?
イエス復活のレリーフが飾られています
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キリスト教の成立以来、約2000年
巡礼者の目的地であるヴィア・ドロローサはココが終点
お疲れ様でした
あ、ざくろなってる
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続きはこちら 7. エルサレム シオンの丘 ~マリア永眠教会 ~鶏鳴教会
2016年9月:イスラエル&ヨルダン、歴史とイエスの足跡をたどる旅トップに戻る
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