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エルサレム旧市街の南に位置するシオンの丘へ
旧市街の岩のドーム、オリーブ山、キドロンの谷が見渡せます
第二神殿時代に祭司や貴族が多く住んでいたところで
ダビデ王の墓や最後の晩餐の部屋、マリア永眠教会、鶏鳴教会等があります
シオンはダビデの支配下に入ったエブス人の街の地名として登場し
神殿の丘の別名となり、後にエルサレム全体
そしてイスラエルの地全体を指すようになったといいます
シオニズムの語源となった地名でもあり…
イスラエルを神の民として指すときにも使われるそう
建物も道も全て石造りのとっても素敵な路地をすすみ
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最後の晩餐の部屋を見てから(写真撮らなかったぁ)
ナッツ屋さんのある三叉路を右に行くと
10年を費やし1910年に建てられたマリア永眠教会です
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ネオロマネスク様式のマリア永眠教会は
エルサレム最大の教会 …とっても大きいです
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この近くで聖母マリアが永眠し
ビザンチン時代の聖シオン教会の遺構に建てられたそう…
トルコのエフェソス近郊に「マリアの家」ってのがあって
マリアはイエスの死後そこで余生をおくった…
ってトルコの現地ガイドさんから聞いた記憶があるんだけど はて
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正面に聖母子像が描かれた祭壇がある礼拝堂
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礼拝堂の周囲の半球状窪みには新しそうだけれど
伝統的な三位一体や十二使徒などを描いたモザイク
地下聖堂には顔は象牙,全身は桜の木で作られた
永眠するマリア像があります
…新約聖書にはマリアの記述はほとんどないそうで
マリアは古い時代には重視されてこなかったというのだけれど
カトリック教会や正教会ではマリアに捧げる聖母マリア教会
聖母子像、涙するマリア像や黒いマリア像…
かなり頻繁に見聞きするのはどうしてなんでしょうね
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天井には 美しいイエスも見守っています
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後ろの像はハープを弾くダビデ王
ダビデ王の墓がこの先にあるのだけれど写真NGでした
ダビデはソロモン王の父でユダヤの王となり、後にイスラエルの
王となりエルサレムを中心とした統一国家を作った伝承の王
1948年から1967年の6日間戦争まで
ユダヤ人は嘆きの壁の前で祈ることを許されなかったため
ここはユダヤ人にとって最大の巡礼地だったそうです
石棺はダビデの星が刺繍されたビロード布に覆われ
継承者である22人の王を表す22のシルバーの聖書を収めた
メズーザー(経筒)で装飾されています
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イスラエル国民は徴兵制で男性は3年、女性は2年の兵役があります
もっともムスリムは対象外だそう
ムスリムの周辺国に銃口を向けることはできないであろう
という配慮から免除されているそうです
なので、女性兵士も重い銃を携えて闊歩しています
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ここでユダヤ教における神殿と会堂(シナゴーグ)について…
イスラエルを旅行していて
一度も現存のユダヤ教のシナゴークの観光ってなかったのよね
どこの教会もユダヤ教は絡んでないんですもん
シナゴーク=キリスト教教会じゃあないんですね
キリスト教だと地区地区に教会があります
でもってユダヤ教だとシナゴークあります
けど、キリスト教会=礼拝堂となるけれど
ユダヤ教のシナゴークは=礼拝堂ではなく会堂=勉強をするところ
ちょっと理解に苦しむところだけれど
ユダヤ教では拝むところは神殿 で、唯一の場所
ユダヤ教における「神殿」は、エルサレムになければならないのね
カトリックにおける聖堂は各地に建てることができるけれど
…ちなみにカトリックの聖堂はきらびやかだったりするから美しい
反対に
唯一ってことで、ユダヤ教だと聖堂=神殿はエルサレムだけ
シナゴークは祈るところではないので簡素で観光場所ではないみたい
他宗教の入場を認めていないのかもしれないけれど…
ユダヤ人はローマ軍によって「エルサレム第二神殿」を破壊された後
流浪の民となってしまったので「神殿」における祭儀は行うことは
できなくなりました… 「神殿祭儀」こそがユダヤ教の真髄ですが
「神殿祭儀」なしの状態でユダヤ教は存続しちゃったのね
それゆえその後はラビと呼ばれる学者たちによる学習を
基としたのが今日のユダヤ教なの
ユダヤ人は各地に会堂(シナゴーグ)を建てて
ユダヤ人としてのアイデンティティを失わないように学習
神殿に依存しない祭儀などを行っていくこととなったのです
で、現在イスラエルという国家が樹立し
エルサレムもユダヤ人の管轄になった訳
なのでユダヤ人がエルサレムの地に
新たに「神殿」を建てようと考えることは理にかなったことよね
だけど、これが一筋縄ではいかないの
「エルサレム第二神殿」が建っていた場所には
岩のドームというイスラム教の寺院が建っちゃってるじゃないですか
だから唯一残っている?西の壁(嘆きの壁)でお祈りをしている状態
ってことで、イスラエルの旅でユダヤ教を
現存の建造物から学ぶ機会 なかったなぁ~
いろいろググってみて上記記述しましたが、正解かどうかは
検証できなかったので間違っていたら申し訳ございません
長い話になってしまいました… 話を元に戻し シオンの丘(続)です
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シオンの丘から望むエルサレムは砂色の街 …お墓も住宅も
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その先にはパレスチナとの分離壁 …ですね
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この展望台のすぐそばに鶏鳴教会があります
変わった名前… ケイメイ…
イエスが最後の晩餐の席で一番弟子のペテロに
「あなたこそ今夜、にわとりが鳴く前に、
三度私を知らないと言うだろう」
ペテロは「たとえあなたと一緒に死ぬことになっても
あなたを知らないなどとは決して申しません」
と言ったことにちなむ教会
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教会建物はローマ帝国テオドシウス帝が創建、後に破壊された後
十字軍が再建、イスラム軍に破壊され、1931年カトリック教会が
その遺構の上に再建したという、蛇腹層と呼ばれる壁面の帯状層と
屋根のアーチが特徴的な教会
ここは大祭司カヤパ(カイアファ)の屋敷があったところ
ペテロたちのブロンズ像があります
最後の晩餐の後、ゲッセマネで祈っていたところ
ユダの裏切り(ローマ帝国兵士にイエスが誰かを知らせるため
イエスの手にキスをして指した)によって捕らえられ
ここまで連れてこられたイエスをこっそり追いかけてきたペテロ…
真ん中のペテロの右側に屋敷の家政婦、背後にローマ帝国の兵士
家政婦が「この人イエスと一緒だったところを見たことがある
イエスの仲間だ」と言ったことに対し
ペテロは「そんな人知らない」と言っちゃったんですね
それを鶏がなくまでに3度繰り返しちゃったというエピソード
…には、続きがありまして
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地下は捕らえられたイエスが激しいムチ打ちの拷問され尋問された牢屋
『…両手はロープで吊られ,足の爪先がようやく地に着くという過酷なもの…』
『…ムチは40回打つとユダヤの律法で禁じた死に至るので39回打たれた…』
等々かなり生々しい解説がなされるのでちょっと聞くのが辛いものです
地上にある教会の扉にもイエスがペテロに告げるシーンのレリーフ
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ここから上述のエピソードの続きですが…
3度知らないと言ったその時、鶏が鳴きペトロはハッとするわけ
イエスの言葉を思い出したわけですね
ペトロは身を投げ出して号泣した… という
四つの福音書すべてに書かれている衝撃的なエピソード
この場所で聞くととても臨場感がありました
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イエスは最後の晩餐の後
「弟子達は皆、私につまずくであろう」と言ったそう
ゲッセマネの園で全員逃げたということですから
予言していたのですね …ペトロの件も含めて
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比較的新しい教会なので内部はモダン
ステンドグラスがきれいでした
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ユダヤ教の大祭司により有罪と定められたイエス
刑の執行の権限を有していたローマ帝国の総督ピラトの
官邸に連行され十字架刑の判決を受けることになったのです
そしてヴィア・ドロローサを自らの十字架を背負って
歩かされゴルゴダの丘(聖墳墓教会)で処刑されたのです
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… ふぅ ようやく書き上がった
今回は文章が多くて(長くて)すみませんでした
続きはこちら 8. エルサレム 神殿の丘 ~岩のドーム ~嘆きの壁 ~ヨルダンへ ~帰国
2016年9月:イスラエル&ヨルダン、歴史とイエスの足跡をたどる旅トップに戻る
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