Laub🍃

2018/02/14(水)11:04

たましいのうた   (1次ss)

.1次題(177)

ある所に、歌のうまい双子の兄弟が居た。 兄はとてつもない超絶技巧で、正確無比な音程で歌い続けた。 弟はそれに追いつきたくとも追いつけず、仕方がなく自己満足の、自分やすぐ近くの人の為の歌ばかり歌った。 兄弟の師匠は、兄を惜しみなく応援し、様々な講師、様々な指導、様々な体験をさせてやった。 一方で弟には、「きみは大仰なことをせずとも、日常から輝石を見いだせる」と言って励ましてやった。 弟は嬉しかった。 だが同時に、それが半分ごまかしであることも察していた。 確かに自分は、兄と違って歌のうまさに驕ってはいない。 だからこそ、歌の為に歌うことなく、目的の為に歌える。 だがそれは、目的がある時だけのアドバンテージだった。 兄は目的があっても歌える。ただ謳わないだけなのだ。 そのどうしようもない彼我の差と、哀れで惨めな自分の能力に弟は嫌気が差していた。しかし、それでも歌う事だけが彼の大事な大事な自己表現だったのだ。 愛するものを称える歌を、守る為に立ち向かう歌を、己を鼓舞する為の歌を、弟は弱いからこそ歌い続けた。 兄はそうして必死に努力する弟を見下ろしながら、今日も歌の為の歌を歌う。 彼にとって歌は手段でなく、むしろ歌で表現する題材こそが手段となり果てていた。 だから地の果てまで失った何かを探したのだ。 だけど探せば探すほど、なにかが零れ落ちていった。 「歌えば歌うほどぼくは楽器に近付くな」 独りごちて、兄は弟を一瞬だけ優しい目で見た。 兄は正確な歌を歌う為、そして金を得て一家を養うために尽力していた。 師匠が金を出せるのも、兄の歌がそれだけ金になるからだった。 気が付いた時にはもう遅かった。 金の為に兄は、色々なものを犠牲にしてしまっていた。 それは後から後から得られる金で持ってしても、補えないものだった。 だからこそ兄は、弟はなにかを失わないようにと守っていたのだ。 弟が自由に身近な存在の為に歌を歌えるのも、兄の歌あってこそのことだった。 けれど弟は何も知らない。 そして弟が兄の為に歌ったことは、ただの一度もなかった。 わずかにいつも弟の歌に混じる、隠しきれなかった苛立ちとコンプレックスだけが、弟から兄に向けられたものだった。 だが兄にとってはそれでも十分だった。 それでも十分、「たましいのうた」なのだから。

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