Laub🍃

2018/01/22(月)02:14

地獄のほうがいい         (流血女神伝2次ss/傭兵団長ホルセーゼ)

🍷流血女神伝(28)

傭兵団長ホルセーゼは地獄を見てきたつもりだった。 若い頃などは沢山の世界での地獄を見るにつけ、歴史に自分が参加しているような気持になるにつけ、地獄でこそ自分達は生きられるとさえ勘違いしていた時もあった。 その勘違いが正されたのは、ひとえにホルセーゼの師とも言えるような人々が次々に死んでいってからだ。 自分達はけして神様に守られているわけではなかったのだ。 傷付けてきた者の身内の怨嗟の声、見ないふりをしてきた嘆く涙は、自分達の歓喜や名声と紙一重の存在だった。 ホルセーゼはなればこそ、自分達の中のならず者を許しはしなかった。 聖戦や国旗などという名義を持たないならば、猶更身は潔白でなければいけなかった。 それなのに獅子身中の虫のせいで、一人が自ら命を絶ってしまった。もう一人の目が彼岸境に逝ってしまった。 虫を殺さなかったのはそれでも残った少しの未練と、傭兵団に入ってきたばかりの彼らの目がまだ心に焼き付いていたせいだった。……そのせいで、全てが灰燼に帰してしまうとも知らなかった己を、ホルセーゼは殺したくてたまらなかった。 地獄の方が良かった。 地獄で傷付くのは自分だけなのだから。 久しぶりの遠征帰りで、有力、誉と称えられてきた彼らを出迎えたのは歓声でも安堵の声でもなく、異様な臭いに真っ黒な家々だった。 夕焼けの中、それでも復興しつつある世界で動く彼女達の目の前で、かつて背に10の矢を受けても戦い抜いたホルセーゼは膝をついた。 自分の育った場所と育てた者達を殆ど喪って、当然ながらホルセーゼの生きる道は変わった。 自分自身が年老いて弱まっていたせいもある。周囲に頼れ、頼られる戦争がなかったせいもある。 ホルセーゼはこぢんまりとした平和な古い小国に骨をうずめてもいいと思った。 …村で一番の幸せな夫婦二人の笑顔を犠牲にし、生き残った一握りの家族のことを守りたかった。 ギウタ皇国の平和な生活の中、果たして、彼の望み通り傭兵団は癒されていった。 身分の違いを気にせずに怪我人を心配する皇女は特に傭兵団のアイドルで、幼いながら何人もの厳めしい男達を泣かせていた。当たり前のような同情と、親身な、かつて傭兵団に入る前に置いてきた家族のような目は特に、厳しい戦いに耐え抜いた者にこそ強く響いた。 「…カザリナ様ー!?」 「ひゃっ」 「……おやおや」  後門には小さな天使、前門にはにこにこと早歩きでやって来る女神。 「可愛い天使様はどこに隠れていらっしゃるのでしょう。…あの薔薇の中?それともあの青銅像の裾の中でしょうか。いけませんね、あの天使様は本当におてんばなんですから」  くすくす、と鈴を鳴るような声が響く。 「…ふふっ」 「…さあ、捕まえましたよ!」 「きゃあ!」  ホルセーゼに少し目配せをしてから、女神はホルセーゼの後ろに一気に飛びついた。  戦場で見せる女豹のようなしなやかさでなく、どちらかというとおどけていて、彼女が産まれた村の子供達の遊びを連想させるような地に着いた仕草。  女神の金色の瞳に天使の青い瞳が映されたかと思えば、二つは同時にとろけるようにはにかんだ。 「全く、お母様が探していらっしゃいますよ」  可愛い悲鳴を上げながらもふざけあう少女2人は、どちらもホルセーゼの守りたい子供達だった。 「ホルセーゼ様、お手数をおかけしてしまって申し訳ありません」 「……いいや。こちらこそ礼を言いたい気分だ。君が最近よく緩んだ顔をしている理由がよく分かったよ」 「…これでも引き締めているつもりなのですが……カザリナ様のように素直で優しいお子は、私の表情筋よりも強かったようです」  少し前まで、戦場に全てを賭けるようにして日々を磨り潰していたラクリゼも、皇女に骨抜きにされた内の一人だった。  かつてホルセーゼの見落としのせいで目の光を失い、暗黒騎士と呼ばれるようになったサルベーンもそうだ。  警備の関係で3人揃って談笑している様子はあまり見られなかったが、この3人が集まれば月と太陽の神を集めたような天国が地上に実現するだろうと言われていた。  ホルセーゼは、そんな世界で、天上と下界を隔てる雲になりたかった。  カザリナ皇女がラクリゼ達を救う様子は、かつて幼馴染としてサルベーンを追ってきたラクリゼを思い起こさせた。  ラクリゼは常に、大地の色の髪と豊穣を示す肌、獣のように光る瞳に恥じず、彼女自身太陽のように輝いていた。  月のように静かに、冷酷に敵を殺していたサルベーンを物おじせず呑み込んで溶かしてしまった灼熱として。  結局村一番の夫婦になってしまい、戦場では鬼と恐れられるサルベーンをただの親馬鹿にしてしまった春の日差しとして。  あるいは、多くのものを喪った後…サルベーンとつかず離れず戦場で活躍するようになった、凶兆の夕焼けとして。  常に一人で輝いていた彼女は、ここに来てやっと、のどかな日差しの中で丸まる獣になっていた。  ギウタ皇国には興奮はなかったが、代わりに苔むした森の中を思わせる静けさと細く長く続いてきた栄誉ある平穏があった。  先日出て行った彼の最後の妻を追うよりも、この国、そしてここで暮らす『子供』達を最期まで守ることの方が傭兵団長ホルセーゼ『らしい』生き方だった。  この薔薇の香りと陽光の温かさを受ける毎に、泣きたくなるような昼下がりの平穏の中で死ぬことは生物としての根源欲求として彼に深く刺さっていく。  彼女達を守って死ぬことが彼のひとかけらの矜持を支える夢として日々根付いている。 地獄を乗り越えた世界がここならば、地獄より酷いあそこで終わらなかった意味があると思った。 それなのに、やはり物事は都合よくはいかないらしい。 最期の騎士として皇国を守り、戦火の中息絶えていくみすぼらしくも老練な隼。 それがホルセーゼ騎士団の最期だった。 ああ、やはり、地獄よりも現実は酷い。 皇妃と皇女様は落ち延びただろうか、そんな事を仲間と言い合った直後にその仲間の声が途絶える。 小麦色の頭が、黒い頭が、金色の頭が、灰色の頭が、次々と赤黒く染められていく。 「……ラクリゼだ!」 その声が聞こえたのは殆ど奇跡のようなものだった。 耳も遠く目も霞む中、遠くに馬を駆るあの黒だけが鮮やかに浮かんだ。 実際にはどちらに彼女が居るのかも分からなかったけれど。 「あいつ生きてたのか…!」 「お前が生きててあいつが死んでるわけねえだろ馬鹿」 「ひでえなあオイ」 「……ああ、でもちょうど良かった、俺あいつには生きててほしかったからさ」 「どうせ負け戦だしなぁ」 「言うなっつーの」 地獄よりなお酷い世界でついてきてくれた、部下であり仲間である彼らの軽口には温かみがあった。 人一人の声など覆いつくしてしまうような砲撃と剣戟、弓矢の鳴る音の中でもなお、その声は彼ら自身を支えていた。 「…あの荷物、…揺れてないか?」 「……なんだ…」 何度目かの刺客を屠り、近代戦とか謳われている爆撃を何度も避けて。 血と泥と尖ったものたちから逃げて、一目だけ見たそちらには。 「………カザリナ様…?」 ラクリゼが馬に括り付けた、小さくみすぼらしくも丈夫そうな袋。 そこに、見える筈のない青が見えた気がした。 「……ラクリゼ…まさか…」 「その、まさかだろう」 皇妃様はどうしたのだ、とか。 この国は本当に滅びるんだなとかいう想いを殺すほどに、灼けつくような歓喜がホルセーゼ達の心を満たした。 「…それじゃあ、俺達は戦うしかねえな」 「……違いありませんね!」 「ははっ、最高じゃねえか!!」 今度は雇われることなく。 あるいは、唯一生き残った俺達の神様の為に。 誰でもなく、俺達の夢の為に。 逝くことが出来るなんてなんて素敵な地獄だ。 ここは地獄。あるいはそれよりなお酷い。 守りたかった世界は息も絶え絶えで、俺達はそんな世界とともに心中しようとしている。 夕焼けのせいなのか、垂れ下がって来る邪魔な液体のせいか赤く濡れた視界が邪魔で仕方がない。 だが、そこから彼女達だけは抜け出していく。 ラクリゼはカザリナ様の為に、カザリナ様はまだ見ぬ、彼女の救う人の為に。 「……早く、死ねっ!!」 「……う…ぐ……はぁ…っ」 一瞬、本当に一瞬ホルセーゼの意識が飛び、痛みで何度目か分からない覚醒を果たす。 けれど今度の白日夢は天国の夢だった。 青い空と金色の太陽、その中であの金と青が再び一緒に笑う夢が過ったのだ。 「……地獄の方がいいなぁ」 「あ゛ぁ!?」 「俺には、地獄が似合ってる」 「何笑ってんだ、この老いぼれがっ!!」 ホルセーゼは余りに殺し過ぎた。 家族を守る体で人を地獄に引きずり込んできた。 その事をホルセーゼは誇れない。 それでも、彼がここでいまだに立ち続けることが、あの天国を守ることに繋がるのであれば。 次に続く為に、確かに誰かが礎になったことの意味があるのなら。 「行くぞ…!!!」 「はい!!」 俺達が活きる場所は、地獄の方がいい。

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