Laub🍃

2016/12/11(日)04:12

嗜虐の鳥

.1次メモ(404)

 人を疑うことに慣れていると、疑わずに済んだ数少ない相手に依存してしまう。  けれど結局のところそれは重くなりすぎて、また思っていたのと違うと勝手に失望する経路の一つになるだけだ。  清寺水鳥は寺の次女として生まれた。  能天気な姉飛鳥、破天荒な妹花鳥と比べ淑やかで物静か、我慢強いと言われてきた彼女は実の所人一倍に本音を明かせないだけであった。  本音を明かすことで好きな相手に失望されることが怖かったし、一方で自分がこれまで見下してきた人間に同類と見做されることを嫌っていた。  彼女はプライドが高かった。先生役、姉にモラルを指導し妹の暴走を抑える役回りとしては自分が間違っていないことを毎日確認せねばならなかった。  そんな彼女に新しい彼氏が出来た。飛鳥と花鳥は後ろからこっそりついていったが、自分より「上」と認識した相手に対し比較的素直で可愛い姿を二人は後でからかってやろうと思った。  けれど、今回も駄目だったようだ。  彼女は理想が高すぎる。頼れる相手は完全でなければいけない。  彼女の自己嫌悪は他者をも侵食する。相手に自分と同一でない部分を求め、自分を劣っていると格付けられるような相手を求め、それでも日々努力し続ける彼女はそれを越えてしまう。  彼女は踏みつけたいわけではなく、踏まれたいのだ。完全に支配されたいのだ。しかし彼女のもとには今日も愚か者と彼女に踏まれたい人々が集まっていく、そう、今回のデートの相手も最終目的は彼女の前にあふれかえるそれと変わりなかった。完璧であることに疲れたがゆえに彼女に踏まれたいという願望を抱いていたのだ。踏みたくない彼女の目の前に広がる犬の平野。地獄の様相を呈していた。水鳥はいつものように蔑んだ目で拒むが、そこから逃げられない。  そう、被虐嗜好であるほうがある意味自由なのだ。組体操で上に乗る者が常にバランスを保たねばならぬように。彼女が依存したいと、疑わずに済む相手が欲しいと、いやいっそ支配されたいと疑うこともできないほどに上に立ってほしいと思う相手はみな彼女に依存し疑うこともせず支配してくれとひれ伏してきた。  そんな中いつものように、飛鳥と花鳥は偶然を装って水鳥を回収する。  そんな時も弱みを見せないように振る舞う彼女を、二人は満足感を持って接している。  彼女は「二人にだけは絶対に弱みを見せないんだから」とだけ愚痴る。  二人は思う。彼女は二人に、上に立つという形で持って依存し、その無能さを疑うことなく、面倒を見るという名目で自ら拘束されにやってくる。その姿もまた被虐嗜好の一つではないかと。  自由の象徴と謳われる鳥の名を付けられた三姉妹は、今日も依存を愛する。

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