2018/03/30(金)07:05
瘡 (ss)
大災害が起きた。ちっぽけな俺達には抗う術なんてなかった。
眠っている間に遠くに流されて、すぐ隣に居た筈の恋人と俺の運命はそこでちぎれてしまった。
何日経った頃か。
海岸に、事切れた恋人が打ち上げられていた。
遺体を見付けた時、俺は発狂しそうになった。
なんとか発狂せずにいられたのは、既にもっと壊れてしまっている彼女が居たからだった。
避難先で出会った彼女は、何人も家族を亡くしており、そのショックで正気と狂気を行き来していた。
……正気の時の彼女は、俺の亡くしたあの人と言動が似ていた。
だから俺は、欠けたものを埋めるように、彼女に猛アタックし、ついに結ばれた。
彼女の弟が酷く複雑な目で見てきたが、反対はされなかった。
あの人を亡くして死にたいと思ったけれど、これからは彼女の為に生きようと思った。
ある日簡易住宅に帰ると、彼女が男に殴られていた。
やめろと男を彼女から引き剥がしたら男は走り去っていった。
俺の恋人を殺したのが彼女だと言い捨てて。
そんなわけないだろうと彼女を問い詰めたら、彼女はいつもの空虚な目で、男の言葉は事実だと肯定した。
災害の直後。建物の瓦礫の下、彼女の家族とあの人の親は居合わせた。
なけなしの食料をあの人の親が奪って、彼女の家族は結局餓え死んだらしい。
あの人の親は、娘に会う為に死ぬ訳にはいかないと言って、食糧独占を正当化した。
それだけを彼女に伝えて、あの人の親は行方を晦ませた。
彼女は衝撃が引いていくと同時に憎悪を募らせはじめ、そして、……小さな炊き出しの場であの人を見付け……殺したのだと。
彼女の目は一切の悪気を見せなかった。
それが同時に俺に絶望感を植え付けた。
きっとその目はあの人の親が彼女に見せたものと同じで。
俺はどうすればいいか分からなかった。
あまりに無垢過ぎるそれは犬や鳥や魚の真ん丸な透き通った目と同じで、何を言っても通じないようなそんな気がしてしまった。
守りたいと思った純粋さと痛々しいまでの潔さが、今となっては酷く恐ろしかった。
結局、俺は彼女を突き飛ばして逃げた。距離を置くことしか俺には出来なかった。
三日三晩悩み、外を歩き続けた。
ろくに寝ないで瓦礫撤去をし続けた。
黙々と真面目に仕事をしていると言われるのが少し申し訳なかった。
恋人を殺した彼女を殺したかった。
けれど恋人を亡くした穴を埋めてくれるのは彼女に他ならなかった。
……三日目の夜、やっと彼女の元へ帰る覚悟を俺はした。
覚悟を決めてドアを開けたのに、彼女は家に戻っていなかった。
炊き出しの辺りで見たと言われたから、俺は走ってそちらに向かった。
彼女が居た。
茫洋と目を彷徨わせ、子供のような表情で立っていた。
こちらを見付けた途端、その顔はぱああと明るく温かくなり、俺はその顔に酷く安心を覚え。
直後。
「……あれ?」
彼女の首に、包丁が突きたてられていた。
「……あ」
「……え……?」
「ようやく…ようやく見つけたぞ……」
見たこともない、ぐっしょりとした男が彼女の背後に立っていた。
茫然としている俺と、痛みにびくりと跳ね白目を剥く彼女をしり目にそいつはぐりぐりと傷口を荒らし彼女の目に指を入れ気が付いたらそいつがぐちゃぐちゃになっていた。
俺の手には血まみれの包丁があり、そいつは刃物で滅多刺しにされていた。
そいつの近くに見覚えのない死体があった。
かつて表情を見せていた時はあの人に似ていると思えたそれは、ものとなった今、全くの別物となっていた。
俺はこんなものに振り回されていたのか。
あの人らしさと彼女らしさを失ったそれ。
魔女め。
見ているだけでどうしようもなく憎悪が湧きたってくる。
魔女の心臓に、俺は刃物を突き立てた。