暫くご無沙汰していました。
夏バテ・・・というかいろいろと忙しくゆっくり出来なかったので疲れがたまっています。
盆前の暑さにもまいっていました。歳だなぁ・・・
最近28年ぶりにある方・・・にバッタリ会いました。
助産師さんです。私の店にたまたま来られたのですが・・・
私の次女は28年前予定日より二ヶ月早く生まれました。
破水したので入院し絶対安静でしたが陣痛が起きて止まらず出産・・・となりました。
そのときの助産師さんです。
難聴で困ることに出産もあります。
初産ではただでさえ不安なのに聞えない不安がプラスされます。
(もし助産師さんの言われる事が聞えなかったらどうしよう・・・)
出産の時のいきみのタイミング、息を吐く時のタイミング・・・など不安だらけでした。
赤ちゃんが産道を通っている時の呼吸の仕方が赤ちゃんにも影響を与えるからです。
それで出産前の検診時から「聞えないので宜しくお願いします」と、とにかく(聞えないmichiさん)を知ってもらわなければならない・・と思っていました。
tomoの時も三日かかった超難産でした。
私は体重が38キロ前後なので自分の体重の10分の1のtomoの出産は死ぬか・・・と思うほどの辛さでした。(あの頃3800gの赤ちゃんは大きい方でした)
それで3人目の出産は慣れているつもりでしたが聞えない不安があります。
(補聴器が途中で外れたらどうしよう・・・補聴器が無かったら全くの無音の世界です)
時には枕にあたって補聴器がハウリングします。
私だけ気付くのであればいいけれど周りの方にうるさく聞えていると思います。
うるさい音を出すと迷惑がかかる・・・
お産の時に補聴器が枕に当たらないか・・・それも気にしなくてはならない。
その不安を誰一人言ったこともありません。
あの頃は難聴を出来るだけ隠したかった・・・言わなくていいのならいいたくなかった・・
障害二級の高度難聴なのに、それでも普通の人に見られたかった・・・
今のように福祉に理解もなかった頃だったから・・・
そんな中での三人目の出産の時の助産師さんは
「あのぅ、ずっと前に私が関わった方でしょう?」と言われ、こちらがビックリしました。
「まぁ、よく覚えておられましたね」
「確か、お耳が不自由だったですよね?赤ちゃんも小さかった・・・私は助産師になったばかりの頃で、とても印象に残っています」ということでした。
「はい1900gの未熟児だった子が今では二児の母親です」と話に花が咲きました。
難聴だったから覚えていてくれたんだ・・・と難聴でも悪いことばかりじゃないんだな・・・とヘンに納得していました。
ずっと以前の知り合いとバッタリ会って、まず思い出すのは”聞えない私のあの頃の姿”です。あの時、聞えないで、どんな事で困っていた・・・悩んでいた・・・がパァツと蘇るのです。
それほど不自由なことが沢山あったのです。
今では人工内耳ではるかによく聞こえているけれど、それでも普通の人のようにはなれない。それでも難聴を受け入れているから気分的にだいぶ楽になりました。
あの頃、子育ても泣き声が聞えなくて、こちらが泣きたいほどだったけれど、亡き主人が毎晩一緒に起きて二人で子育てをしてきました。
きっといつか「あの頃聞えなくてこんな失敗もあったのよ」と笑って話せる日がきます。
他にも聞えなくて出産、子育てに頑張っている難聴の女性にエールを送ります。
じゃ また・・・