We are in LOVE,LOVE,LOVE 後編
3 リビングに案内され、椅子に座らされた直後に、ぼくはつぐみの口からとんでもないことを聞かされてしまった。先日、ひばりちゃんにぼくを誘惑するよう頼んだのは、他ならぬつぐみであったのだ。「……本当に、悪いと思ってるわ。幾らあんたが変態で童貞で馬鹿で阿呆で鈍感で間抜けで甲斐性なしで意気地なしで男らしくない駄目人間とは云え、わたしのやったことはいけないこと。許されてはならないこと。それは重々解ってるわ。反省もしてる」 何か前に罵られた時よりも酷くなってるなあ、と思いながら、ぼくはつぐみの言葉を黙って聞いていた。「わたしのイメージにそぐわないから、ほ、本当はこんなこと云いたくないんだけど――しょうがないわよね。けじめはつけなきゃ」珍しく、本当に珍しく反省した様子で、つぐみは云った。「ごめんなさい」 そして、僕に、頭を下げた。 あのつぐみが、馬鹿みたいにツンデレなつぐみが、僕に――頭を下げた。 信じられない。まさかこんな日がくるなんて――夢みたいだ。 何だろう――沸々と湧き上がってくるこの感情は。そうか、これが達成感というやつなのか! 最高だ! ぼくは今、最高の気分に酔いしれているぞ!「ゆ、許してくれる?」 頭を上げて、申し訳なさそうに問いかけてくるつぐみ。その姿は、何ともつぐみに不似合いであったが、これはこれで、男心を擽るものがある。「わたくしからも深謝を申し上げます。どうか、お姉さまの罪を許してあげて下さいまし」 つぐみの隣で、ひばりちゃんも深く低頭した。 ……何だかなあ。 そこまでされたら、逆にこっちが困るって。「まあ、そこまで反省してるなら、別にいいよ。そもそもつぐみがそうしたのって、大方ぼくの心を確かめたかったからなんだろ? 馬鹿だなあ。そんなことしなくても、ぼくはつぐみのこと、世界で一番愛してるっていうのに」 思わず赤面してしまうほど恥ずかしい台詞だったが、つぐみを安心させる為にも、やはりそれは云わなければならない言葉だった。 つぐみは不安だったのだ。何も訊かない――何も求めないぼくのことが。 だから今回のことは、半分以上、ぼくの責任だ。「ほ、本当?」「本当だよ、つぐみ。それにぼくだって――謝らなきゃいけないことがある」 キスのこと。 ひばりちゃんとのキスのこと。 黙っていようと思っていたけれど、つぐみだって勇気を出して、自分のプライドを捻じ曲げてまで告白してくれたのだ、ぼくだけ隠し事をする訳にもいかない。 ぼくはつぐみが好きなのだ。愛しているのだ。だから――隠し事なんて、するべきじゃない。「ごめんね、つぐみ。ひばりちゃんから聞いてるかも知れないけど――ぼく、彼女とキス、しちゃったんだ。……いや、別にぼくからした訳じゃないからな! あれは飽くまでもひばりちゃんが――」「……何だって?」 場の雰囲気が、一瞬で荒んだものへと変わったような気がした。「ひばりと、何、したって?」「だ、だからキスを……。それって、つぐみが指示したことなんじゃないの!?」「あんた馬鹿じゃないの!? 誰がそんなことさせるっていうのよ!」 ……あ、何か滅茶苦茶気まずい。 やっぱり云わない方がよかったかなあ……。 幾ら恋人同士とは云え、何でもかんでもフルオープンじゃやっていけないのかも!「ちょっとひばり! あんた、何で今まで黙ってたのよ!?」 鬼のような形相でひばりちゃんに詰め寄るつぐみ。止めようかと思ったが、つぐみがあまりにも怖すぎて全く近寄れない。ぼくってとんでもない弱虫だ。「だって、云ったらお怒りになるでしょう? 今のように」「当たり前じゃない! っていうか、何でそんなことしたのよ!」「……恥ずかしいですわ、お姉さま。したかったからに、決まっているではありませんか」 そんなことを真顔で云ってのけてしまうひばりちゃん。実は彼女、つぐみよりも肝が据わっているのかも知れない。「わたしとあいつがまだキスさえしたことないのを知っててやったのね!?」「さて、何のことでしょう? わたくしにはまるで見当がつきませんわ」 確信犯だ。この女、滅茶苦茶あくどい確信犯だ……。 返せ! ぼくの初めてを返せ!「こ、こうなったら!」ぼくの方に向き直して、つぐみがやや裏返った声で云った。「あんた、わたしにキスしなさい!」「え、えええ!?」「何よ! ひばりと出来て、わたしとは出来ないって云うの!?」 いや、そういう訳じゃないけど。 でも、キスって強要されてするものではないような……。「ほ、ほら、早くしなさいよ!」 云って、ぼくに迫ってくるつぐみ。恥ずかしそうに、頬を赤らめている。 ぼくはそんなつぐみを素直に可愛いと思った。そんな彼女とキスをしたいと思うのは、当然のことなのだろう。 だから。「目、瞑って」「……う、うん」 瞳を閉じるつぐみ。つぐみの両肩に両手を乗せるぼく。 そっと、抱き寄せて。 そして。 静かに、キスをした。 優しい、キスをした。「……あ、甘い」 数秒後、唇を離して、ぼくは思ったことをそのまま口にした。「ぜ、全然味わえなかったわ。……も、もう一度、してよ」 本当に素直じゃないなあ、つぐみは。 まあ、そこがいいんだけどね。 要求どおり、ぼくはもう一度つぐみと唇を重ねた。 やはり、甘い。 ひばりちゃんとした時には味わえなかった不思議な甘さだ。「ま、満足した?」「……まだまだ足りないわよ。もっと、してよ……」 ……やれやれ。突然デレデレしだすと、逆に怖いなあ。 でも、たまにはこういうつぐみもいいかも知れない。 さて、ではお姫様が納得いくまでキスをしてあげましょうかね、と思ったその時――。「少々よろしいでしょうか、お義兄様」「おおう!?」 吃驚して、脳味噌が引っ繰り返るかと思った。 慌てて声のした方を見やると、そこには面白そうにぼくらを見ているひばりちゃんの姿があった。 そうだ。この部屋にはひばりちゃんもいたのだ。 そう思うと、恥ずかしさで死んでしまいそうだった。「お義兄様、キスよりももっと過激なことがおやりになりたいのでしたら、お姉さまのお部屋に行くことをお勧め致しますわ」「キスよりももっと過激なこと――?」 つぐみを抱き寄せたまま、想像してみた。 …………ぶほっ。「あ、鼻血」 ひばりちゃんの声を耳にした直後、ぼくの意識は途絶えた。 4 青みがかった目が二つほど見えた。これは、ひばりちゃんの目だ。「あ、お目覚めになられましたか」 ぼくは起き上がって、周りを見た。あのリビングだ。ぼくはどうやら、如何にも高そうなソファの上に寝かせられていたらしい。「あ、あれ? でもどうして寝てたんだ?」 つぐみの家に来て、ひばりちゃんがいて、リビングに通されて、そこでつぐみから謝られて、ぼくも謝って、それで、つぐみとキスして――その後、どうなったんだ?「嫌ですわ、お義兄様。鼻血を出して、卒倒してしまったのです」 ……そうだ。思い出した。ひばりちゃんに云われるがまま、キスよりも過激なことを想像してしまって、鼻血を出してしまったんだ。 ……にしてもあれは凄かった――って、想像したらまた意識が飛ぶぞ!「し、心配かけちゃったね」 ひばりちゃんにお礼を云ったあと、ぼくは首を回してある人を捜した。つぐみである。 ソファから少し離れたところに、彼女の姿はあった。憂鬱そうな顔をして、ぼくを見つめている。「ごめんね、つぐみ。ぼく、つい良からぬことを考えちゃって……」「いいのよ。むしろ毎晩それを想像してから寝なさい」 相変わらず無茶苦茶なことを口走るつぐみ。しかし、心なしか語調が優しい。「あーあ、今日こそは既成事実が作れると思ったのに……」「え、何だって?」「何でもないわよ、馬鹿」 自分の彼氏に当たり前のように馬鹿と云うのはどうかと思うよ、つぐみちゃん。 でもまあ、ぼくらのようなちぐはぐカップルには、そういうノリが最適なのかも知れない。 完璧なきみと、駄目なぼくと。 そんな明確な差があるからこそ、今までぼくらは上手くやってこられたのだ。 そして、これからも――。「また、遊びに来てもいいかな?」 ひばりちゃんは即座に頷いてくれた。 そして、つぐみは――。「いいわよ。いいに決まってるじゃない。そんな解りきったこと、いちいち訊かないでよ」でも――と、つぐみは続けた。「こ、今度は――あんたの家に、行きたい」 恥辱に耐えながら云うつぐみに、ぼくは精一杯の優しさをもって答える。「いつでもどうぞ」 5「お帰りになりましたわね、お義兄様」 玄関先であいつを見送ったあとに、ひばりがぽつりと呟いた。一見、普段の調子とそう変わらないように見えるのだが、つぐみにはその時のひばりの様子が不思議に思えてならなかった。「……なんであんたそんなに憂鬱そうな顔してるのよ」 何となくだが、判るのだ。ひばりの様子が普段と異なることが。つぐみにしか判らないひばりの感情の変化が。 何せ幼い頃からずっと一緒にいるのだ。つぐみは誰よりもひばりのことを理解し、ひばりは誰よりもつぐみのことを理解している。それは間違いない。「憂鬱? ……確かに、そうかも知れません」 心なしか落ち込んだ声で、ひばりが答えた。「どうしてよ? 何かあったの?」 やはり今のひばりは変だ。ひばりの吐いた「憂鬱だ」という言葉を、つぐみは生まれてから一度も耳にしたことがないからである。「わたくしにもよく判りませんが――そう、胸が苦しいのです」「胸? 成長期なのかしら?」 十七にもなって何を今更、という感じである。「そういう苦しみとは明らかに異なります」首を横に振って、ひばりが云った。「生まれて初めて感じる苦しみです」 つぐみの脳裏に一瞬、大いなる不安が過ぎった。 もしかしたら。 もしかしたら、この子は――。 そしてその大いなる不安は、見事に的中することと相成ってしまう訳で。「わたくし、お義兄様のことを好いてしまったのかも知れません」 やはり――そうきたか。嫌な予感というものは不思議と的中してしまうから困る。「……まあ、無理もないかも知れないわね」あいつはいいヤツだから――と云いかけて、やめた。妹相手でも、自分の恋人を褒めるのは恥ずかしすぎる。「でも、あいつはわたしのモノよ。誰にも渡さない」「ええ、解っております」口許に薄っすらと笑みを浮かべて、ひばりが嬉しそうな声で云った。「ですからお姉さま、お義兄様に飽きがきましたら、いつでもお譲り下さいね」「あ、あんたみたいな無愛想女には絶対に渡さないんだから!」「少なくとも、女らしさではお姉さまに勝ると思いますわ」「た、確かにそうかも知れないけど――いや! そんなのは全く関係ないわ! あいつはね、わたしが――桜花つぐみが好きなのよ!」「そうでしょうね。取り敢えず、お義兄様はお姉さまにお譲りします」「あんたにそういうこと云われる筋合いはないわよ!」「ですから、もしお姉さまが逝去されても、その後にはわたくしがお義兄様のお傍についていますので、心配なさらないで下さいね」「勝手に人を殺すな! っていうか、幾ら何でも話がぶっ飛び過ぎてるでしょうが!」 そんなこんなで。 桜花つぐみと、桜花ひばり。 二人の戦いは、まだ始まったばかりだ。 了“We are in LOVE,LOVE,LOVE”closed