2011/03/15(火)03:48
不幸中の幸い
近くの建物を解体している関係で先週から、
地盤の弱い土地柄の我が家はずっとゆらゆらしていた。
先週金曜日、夫は仕事を休んでいたので、
日中こんなに揺れるとは知らなかったらしく
「おいおい、うちの家大丈夫か?」と心配していた。
「こんなもんよ。しばらく前の違う解体作業でもこうだったからね~。」
などと話つつ、そろそろ仕事だと準備していたその時、
またゆらゆら揺れだした。
のだけど、なんだかこれは違う!
「これは来たね!」と夫と確認したその瞬間から激しい揺れが始まった。
私はテレビが落ちそうになるのを必死で押さえ、夫はパソコン周りをガードしていた。
長男の部屋からはなんだか嫌な音が聞こえて来るけれども見に行っていられない。
長い間揺れた後やっと納まったので、
職場にきっと来られないだろうと関係者に連絡を入れたら、
普通に来ると言う。
というわけで、地震直後に私は職場に向かう羽目に。
夫はあの手この手で私を全力で止めようとしたのだけど、
その日横浜の職場から都内に変更依頼された仕事だったので、
行かねばならないのだった。
途中余震に遭いながらも辿り着いたが、家との連絡は携帯では不通となった。
しかし、たまに繋がった夫からのメールで近所のガス漏れと家の中が大変だとわかってから、
なんとか上司と連絡が取って、
最後まで仕事をすることなく切り上げて帰宅した。
長男の部屋と脱衣所とトイレがちょっとした修理費用が発生する
惨事になっているし、ガスは使用禁止になってしまっていた。
娘は引き取り連絡があったというし(夫が迎えに行った)、
仕事をしている場合ではなかったのだった。
仕事を後回しにできない自分にまた凹んでしまったのだが、
よくよく考えたら不幸中の幸いがいくつも重なっていた。
いつもいない夫がいたおかげで、
娘に不安な思いもさせなかったし、
仕事も責任取れるところまでこなせたし、
何よりその日の職場が変更になったことで、帰宅できたということ。
横浜だったら電車が止まって帰れなくなっていた。
最も被害がありそうなキッチンは防災対策万全で、
皿一枚割れていなかった。
ガスはその日が終わる頃には、早急に工事をしてくれて復旧した。
要するに奇跡的に不自由が続かなかったということ。
報道を見る度に今回の地震の酷さに胸が痛むし、
自分はこの程度で済んだというのが、本当に幸いだと思う。
実は土日もみんな普通に来るので、普通に仕事だった。
実家からも義実家からも、こんな時に仕事優先して!と
叱られまくって、そんなことは重々承知で、
家を優先できない状況もどうかしてる、と自分でも思って更に悩むから、
こういう時は良いこと探しをするに限る。