カテゴリ:日々のつぶやき
娘が教室で生き物を飼うことになり、話し合ったという。
決まったのは熱帯魚。 お世話にかかる費用は、みんなでお金を出し合って飼うことにしたのだそうだ。 先生はみんなで決めることだからといって口を出さなかったらしい。 震災があってから学校にはかなりの制約ができているはずなのに、 なぜ電気の必要な熱帯魚や(夏場はこの先計画停電だってあるかもしれない)、 そもそもお金を稼いでいない子どもが教育の現場で、 お金を出し合うというシチュエーションに違和感を感じるが、 そのような決定になぜ先生は何も言わないのだろう。 お金を集めるというのも、一人いくらでも良いということだったが、 今、震災募金があちこちであるものだから、 お金を集めるという行為が子ども達の間で、安易に捉えられているような気がする。 いくらでもというと、出さない(出せない)子もいるし、 高額な金額を持ってくる子もいるし、 もしかすると、みんなが1円だけ持ってくることもあり得る。 どのような集まり方をするかわからない金額で、 命を扱うことが決められて良いのだろうか。 高学年だからというので、最終的に子どもが決めるにしても、 よく考えて決断できるように、教師からアドバイスは必要ではないのだろうか。 節電推奨のご時世に、熱帯魚はムリ。 普通の魚でも気泡のための装置を使うから 停電してしまえば死んでしまう。 大きい余震があれば水槽だってダメになる。 そこまで子どもが思い至るのは難しい。 学校の飼育小屋には動物がいるのだし、 命の意味を考えるならそれで十分ではないのだろうか。 かわいいから、飼いたいから、 そんな気持ちだけでどんな扱いになるかもわからないのに、 飼われる動物はかわいそうだ。 子どもの気持ちも大切だが、粗末に扱われて良い命もない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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