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今日の会議の中で、こんな反省点が指摘されました。
「なぞりスーパーが少なかったね」 なぞりスーパーとはタレントが喋った言葉と同じ事を文字にして同時にスーパーとして画面に入れるという演出です。 私がADの頃は、スーパーは白黒反転した文字を別カメラで撮り、合成するという手法で出されていたので、予算的にも手間的にもそういう演出は不可能だったのです。 しかし、今はコンピューターによる打ち込みでいとも簡単に画面に出せるようになったので、それが当たり前のように行われるようになりました。 以前は、スーパーは画面を汚すもの、見る人の気をそらすものと言われ、必要以上のスーパーを出すということはやってはいけないものとされていましたが今は違います。 その原因には「視聴者の進化」ということが大きな要素としてあげられます。 昭和の時代、テレビというものは目で見て、それがあたかも目の前で行われていることのように感じることで、その内容を理解し、情報として頭の中に取り入れるモノだったのに比べて、 今の時代の視聴者は、テレビというものが情報を取り込む一つの機械であり、目で見ている現実の情景とは全く別モノであると認識できるようになってきたのです。 昔のように、できるだけ目で見ているモノに近づけた映像演出より 今は、テレビという箱に映し出される情報画面を作る演出の方が必要なのです。 今の番組は、なぞりスーパーに限らず、今、何をやっているのかを 画面隅に表示するサイドスパーが出しっぱなしになることも当たり前のようになっていますし、番組によっては、状況を説明したスーパーやタレントの心理状態を示すスーパーも盛んに出されるように なっています。 これは一見、視聴者が一生懸命見なくても、番組を理解できるようにするための演出と思えますが、逆にいうと、一定時間内に読まなくてはいけない情報は何十倍にも増えているということなのです。 画を見て、音を聞き、その上、字も読む、それを短時間の間に頭の中に入れることで、実際の情景よりもインパクトのあるものとして記憶に残せるようにと、視聴者が進化した結果、 こういう演出が必要とされてきたのかも知れません。 情報化社会の中、視聴者は無意識にどんどん進化しています。 消費者も同じです、当然それに応じて、全ての供給者も進化が必要となるのです。 昔の考え方を正しいものとして残す努力と、進化していく向上心、 時代を超えて生きていくためにはこのバランスを取っていかなければ、置き去りにされます。 頭では、理解しながらも、いつも気持ちはついていきません。 どうしても、昔、自分が学んだものを正しいと言い張りたくなるものです。 オヤジと呼ばれないよう、古い考え方に固執しないよう、日々勉強 だと自分にいつも言い聞かせています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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