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仕事にはそれぞれ、職業病なるものがあるといいます。
毎日、同じ部分を使う事によって、そこが麻痺したり、逆にその部分が休みなく働き出したりとその職業によって症状はさまざまです。 腱鞘炎になる人もいれば、テクノストレスになって肩こりや偏頭痛が止まらないという症状もよく聞きます。 私が職業病として悩む症状のひとつに、精神的な過敏症があります。毎日、何か面白い事や興味のわくものを探していて、 面白いもの、興味のわくものが見つかるときはいいのですが、 なかなか見つからないとき、異常にアンテナを張るため、 仕事が終わっても、その状態から離れられない事があるのです。 街で流れる音楽に感動したり、何気ない他人の会話に涙が出そうになったり、スーパーでおじいちゃんがクリームパンを買っているだけで、その人の人生を勝手に想像して胸が痛くなったり・・ かさぶたがはがれた瞬間の皮膚のように、どんな事にも強く、 反応してしまうのです。 感動や喜びに関してだけ反応するならいいのですが、そのときは、 ブルーの度合いも倍増するから厄介です。 何度もそういう経験をするたびに、「ちょうどいい」と言う言葉の 重さを感じます。 なにか感動を求めようと感性を研ぎ澄ませば、必ずその感動と同じ単位でブルーも感じてしまうのです。 なにか世の中の法則のような気がします。 リスクの高いものほどリターンも高くなります。 快感の強い恋愛ほど痛みも並大抵のものではありません。 世の中、プラスマイナスのバランスは常に保たれるようになっているのです。 私は、無意識のうちに、精神的ハイリスクハイリターンの人生を歩んできてしまいました。 異業種の友人にはよくこう言われます。 「うらやましいな、毎日が刺激的で、楽しいだろうな」と・・・ 決して否定はしませんが、私自身、マンネリズムへのあこがれがあるのも事実です。 「ちょうどいい」 そういう生き方のできる人は本当はすごく幸せで、 もしかするとそれが一番難しい生き方なのかも知れません。 退屈しすぎず、刺激も強すぎず、忙し過ぎず、暇でもない、 そういう「ちょうどいい」環境にいる人だからこそ本当は、 人の心をしっかりと見つめる事ができるのだと思います。 そういう意味では、全くもってダメな自分に気付きました。 自分自身、感性が豊かであると言う意味をもう一度考え直さなければいけない時期に来ているのだと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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