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昨日、業界一年目のADを連れて居酒屋に行きました。
お酒も回ってきたところで、 最近自分の周りに起こった面白い事を一人ずつ発表するという流れになりました。普通そのようなシュチエーションで緊張する事は必要のない事なのですが、 我々の業界ではそこがある意味、自分を見られる重要なポイントと なり、仕事が出来る出来ないまで判断される事があるので、安易に 何でもない事を何気なく喋るわけには行かないのです。 私が若い頃、先輩からは、カラオケに行ってもセンスは見られるとよく言われたものです。うまい人間でも場所に合わない曲を選んだり、独りよがりの唄い方になると、センスを磨けと真剣に説教されたりもしたものです。 プロスポーツ選手は、どの種目をする人でも、最低限の運動神経は あり、普通の人よりも能力は勝っているものです。 それと同じで、表現ということにおいても、それを仕事とするレベルになるためには、表現のどの分野でも、人よりもある程度は勝っていなくてはいけないと言われるのです。 芸人で面白い人のほとんどは、唄を歌わせてもそこそこうまく歌いますし、踊りも器用にこなします。歌のうまい歌手も、トークが上手な人が比較的多いものなのです。 我々の業種では、話の仕方が人よりもうまくなければそれだけで、能力がないと判断される場合が多くあります。 話すらうまく編集できないのに、番組をうまく構成できるはずがない、カラオケなどにおいても自分を演出できない人間が、人をうまく演出できるはずがないと思われるのです。 営業職で、売上げのいい人は、恋愛も上手で、モテるという話を聞いたことがあります。そしてそういう人は、カラオケに行っても、上手下手は別にしても、盛り上げるのは上手だそうです。 手先が器用、運動神経がいいというものと同じように、表現センスというものは間違いなくあると思います。 文章、唄、トーク、恋愛という自己表現はセンスです。 しかしそれは全てが持って生まれたものではありません。 自己表現のちょっとしたコツをつかむ事で、全てのレベルが上り、センスが磨かれたということになるのだと思います。 表現センスがないということが人としてレベルが下というわけでは決してありません。たまたま我々の業界では仕事に遅れをとるということだけの話です。 時にこの楽天のページを見ながら、表現センスに優れたページを見かけます。それが、主婦や普通のサラリーマンである事を見て、かなりの刺激を受ける事があるのです。 自分も偉そうに言いながら、そんなにいいセンスではないと気付かされるのです。 運動能力と同じでセンスは油断するとすぐに落ちます。 自己表現センスを磨くためにもっと遊ばなければと勝手な解釈をし、仕事を先送りにして飲んだりカラオケに行ったり若い人たちとはしゃいでいる私はきっと間違った捕らえ方をしているんだと最近それには気付き始めたところです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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